平熙

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平 熙(へい き、生没年不詳)は、五胡十六国時代前燕の人物。

生涯[編集]

咸康3年(337年)9月、鮮卑慕容部の大人慕容皝は文武諸官の編成を行い、宋晃張泓とともに将軍に任じられた[1]

光寿元年(357年)5月、撫軍将軍慕容垂・中軍将軍慕容虔とともに歩騎8万を率いて塞北の勅勒を攻めた。勅勒を破り、10万余を討ち取り、馬13万匹・牛羊数十万頭を得た。

12月、皇帝慕容儁の指示により、昌黎郡遼東郡の二郡に慕容廆范陽郡燕郡の二郡に慕容皝の廟を造ることになった。平熙は将作大匠に任じられ、二人の廟の製造監督を行った。

これ以後の事績は、史書に記されていない。

脚注[編集]

  1. ^ 『晋書』巻109 慕容皝では、裴開・陽騖・王寓・李洪・杜群・宋該・劉瞻・石琮・皇甫真・陽協・宋晃・張泓らと列卿将帥に任じられたと記されている。

参考文献[編集]