後藤是山
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後藤 是山(ごとう ぜざん、本名: 祐太郎、1886年6月8日 - 1986年6月4日)は、日本の文化人。熊本市名誉市民。
経歴
[編集]- 1886年(明治19年) - 大分県直入郡久住町(現・竹田市)に生まれる
- 旧制竹田中学校(現大分県立竹田高等学校)卒、早稲田大学中退。
- 1909年(明治42年) - 九州日日新聞社(現熊本日日新聞)入社
- 1911年(明治44年) - 国民新聞に派遣
- 1912年(明治45年) - 九州日日新聞社復帰
- 1917年(大正6年) - 九州日日新聞社の文藝欄刷新を断行
- 1918年(大正7年) - 九州日日新聞社編集者兼主筆
- 1921年(大正10年) - 第二期「明星」の同人
- 1927年(昭和2年) - 俳誌「かはがらし」を創刊主宰
- 1934年(昭和9年) - 九州日日新聞社退社
- 1986年(昭和61年) - 死去
句碑
[編集]- 旧大浜番所跡(玉名市)
- 後藤是山旧居跡(熊本市)
その他
[編集]- 後藤是山記念館(熊本市)
- 是山は「山は是れ依然として山、水は是れ依然として水」という意味。