御手洗肇

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御手洗 肇(みたらい はじめ、1938年10月5日 - 1995年8月31日)は、元キヤノン社長。

来歴・人物

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東京都出身。マサチューセッツ工科大学大学院電子工学科[1]スタンフォード大学修了。キヤノン創業者御手洗毅の子。

1974年にキヤノンに入社。中央研究所所長などを務めた後、1993年山路敬三の突然の退任[2]を受け第五代社長に就任。社長として辣腕を振るったが、1995年に間質性肺炎のため、在職のまま死去[1][3]。後任社長には従兄の御手洗冨士夫が就任した[1]

脚注

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  1. ^ a b c 利尚, 長井 (2019年10月10日). “ソニー下克上の現実味、元社員も嘆く御手洗キヤノンの惨状”. アゴラ 言論プラットフォーム. 2021年11月11日閲覧。
  2. ^ 山路敬三はビジネスウィーク誌から最優秀経営者に選ばれるなど評価が高かったが、突然辞任し役員としても残らなかったため様々な噂があがった。真相は闇だが、初代社長の御手洗毅に恩を受けた賀来龍三郎の大政奉還とも言われる。
  3. ^ キヤノン・御手洗冨士夫が賭ける「強運の複写」:杜耕次 | 記事 | 新潮社 Foresight(フォーサイト) | 会員制国際情報サイト”. 新潮社 Foresight(フォーサイト). 2021年11月11日閲覧。


先代
山路敬三
キヤノン社長
第5代:1993年 - 1995年
次代
御手洗冨士夫