恒州 (北魏) ウィキペディアから無料の百科事典 恒州(こうしゅう)は、中国にかつて存在した州。現在の山西省北部・内モンゴル自治区ウランチャブ市南部一帯に設置された。 太和17年(493年)、北魏の孝文帝には平城から洛陽への遷都すると、司州は恒州と改称された。孝昌3年(527年)、六鎮の乱に代郡が陥落すると、州治は秀容城に移された。天保7年(556年)、北斉により恒州は廃止された。 下部行政区画[編集] 代郡 平城県・太平県・武周県・永固県 善無郡 善無県・沃陽県 涼城郡 参合県・裋鴻県 繁畤郡 崞山県・繁畤県 桑乾郡 桑乾県・下館県 高柳郡 安陽県・高柳県 霊丘郡 霊丘県・莎泉県