恒州 (北魏)

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恒州(こうしゅう)は、中国にかつて存在した。現在の山西省北部・内モンゴル自治区ウランチャブ市南部一帯に設置された。

太和17年(493年)、北魏孝文帝には平城から洛陽への遷都すると、司州恒州と改称された。孝昌3年(527年)、六鎮の乱に代郡が陥落すると、州治は秀容城に移された。天保7年(556年)、北斉により恒州は廃止された。

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