悼太子 ウィキペディアから無料の百科事典 悼太子 秦 太子王朝 秦諡号 悼太子没年 前267年父 昭襄王陵墓 芷陽 悼太子(とうたいし、? - 紀元前267年)は、中国戦国時代の秦の第28代君主、第3代の王である昭襄王の長子。姓は嬴、諱は不明。魏への人質として出されており、紀元前267年に魏で亡くなった。 紀元前265年に昭襄王は亡くなった悼太子の弟で公子柱こと安国君(後の孝文王)を太子として指名した[1]。 参考文献[編集] ^ 『史記』 巻五 秦本紀「秦昭襄王 四十年,悼太子死魏,帰葬芷陽… 秦昭襄王 四十二年,安国君為太子。」