慧皎

ウィキペディアから無料の百科事典

慧皎
建武4年 - 承聖3年2月
497年 - 554年3月)
生地 会稽郡上虞県
没地 尋陽郡湓城県
寺院 嘉祥寺
著作高僧伝
テンプレートを表示

慧皎(えこう)は、中国南朝。『高僧伝』の撰者。

略歴[編集]

会稽郡上虞県の出身であるが、氏族は不明である。

学は博く仏教と俗書に及んでおり、仏教では経律を修めた。会稽の嘉祥寺に住し、春夏には仏法を講説し、秋冬には著述に専心した。承聖2年(553年)、侯景の乱を避けて尋陽郡湓城県に移り、翌承聖3年(554年)2月に没した。享年58。廬山の禅閣寺に葬られた。

著書[編集]

参考文献[編集]