成山明

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成山 明
基礎情報
四股名 小野若 明 → 成山 明 → 成山 準 → 成山 明
本名 成山 明
生年月日 1931年11月27日
没年月日 (1978-05-08) 1978年5月8日(46歳没)
出身 兵庫県津名郡由良町(現在の洲本市
身長 176cm
体重 110kg
BMI 35.51
所属部屋 小野川部屋
得意技 左四つ、寄り
成績
現在の番付 引退
最高位 西小結
生涯戦歴 454勝433敗15休 (61場所)
幕内戦歴 261勝294敗 (37場所)
優勝 十両優勝2回
殊勲賞1回
技能賞3回
データ
初土俵 1948年10月場所
入幕 1953年9月場所
引退 1962年5月場所
備考
金星6個(東富士1個、鏡里2個、吉葉山2個、若乃花1個)
2013年9月19日現在

成山 明(なるやま あきら、1931年11月27日 - 1978年5月8日)は、兵庫県津名郡由良町(現在の同県洲本市)出身で小野川部屋に所属した大相撲力士。本名同じ。最高位は西小結(1956年3月場所)。身長176cm、体重110kg。得意手は左四つ、寄り。

来歴・人物[編集]

成山は本名であるが、郷里・由良町にある成ヶ島(淡路橋立)の北端にある山の名前でもあるため、そのまま四股名とした。少年航空兵を志願し合格したが時は敗戦寸前だった1945年昭和20年)のことで、願いは叶わず終戦となった。家業の漁業を手伝っていたところを、父親がいとこ同士だった元前頭2・錦華山小野川親方に誘われて小野川部屋へ入門することとなり、1948年(昭和23年)10月場所にて初土俵を踏んだ。

初土俵の場所では番付外と新序で続けて好成績を収めたため、翌場所では序ノ口を飛び越し、序二段に付け出された。

なお、当初の四股名は、所属の小野川部屋に因んだ「小野若」であった。

1953年(昭和28年)1月場所、21歳で十両に昇進。この場所では初日から9連勝したが、これが当時の新十両の初日からの連勝記録で、55年後の2008年平成20年)11月場所、翔天狼がこの記録に並んだ。その後、1953年9月場所で新入幕を果たした。この場所では14勝1敗で優勝した東富士に次ぐ12勝3敗という好成績を残して技能賞を受賞、新入幕での技能賞受賞は初めてのことだった。

1956年(昭和31年)3月場所では小結に昇進、史上初めて本名での三役力士となった。同場所では3勝12敗と大敗し、三役は結局、この1場所しか務まらなかった。

左差し右おっつけの速攻で、場所の序盤にしばしば上位を倒し「成山旋風」を巻き起こし、颯爽とした風貌で人気も高かった。久保田万太郎は新入幕時の快進撃を「秋場所や けいこの甲斐をかくも見せ」と詠んだ。しかしながら、日頃のえびすこぶりと大酒が祟ってか、持病の糖尿病のため終盤まで持たなかった。

1962年(昭和37年)5月場所限りで廃業し、その後は東京都千代田区九段地区で料亭を経営した。

1978年(昭和53年)5月8日、心筋梗塞のため東京都港区内の病院で逝去。46歳没。

息子(明秀(あきひで)、1963年(昭和38年)1月22日生まれ)は同年3月に角界入り(出羽海部屋へ入門)し、本名でもある「成山」の四股名で西幕下2枚目まで進んだが、親子関取昇進は果たせなかった(1987年(昭和62年)5月場所後に廃業し、現在は、東京都内で相撲料理店「ちゃんこ 成山」を経営している)。

なお、成山が亡くなったのは息子・明秀が、序ノ口の土俵に初めて上がった日でもあったという。彼の同期生には、水戸泉琴稲妻らがいる。

主な成績・記録[編集]

  • 通算成績:454勝433敗15休 勝率.512
  • 幕内成績:261勝294敗 勝率.470
  • 現役在位:61場所
  • 幕内在位:37場所
  • 三役在位:1場所(小結1場所)
  • 三賞:4回
    • 殊勲賞:1回(1956年1月場所)
    • 技能賞:3回(1953年9月場所、1957年1月場所、1958年7月場所)
  • 金星:6個(東富士1個、鏡里2個、吉葉山2個、若乃花1個)
  • 各段優勝
    • 十両優勝:2回(1953年1月場所、1953年5月場所)

場所別成績[編集]

成山 明
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1948年
(昭和23年)
x x x x x 西新序
4–1 
1949年
(昭和24年)
東序二段30枚目
6–6 
x 西序二段13枚目
8–7 
x x 西序二段2枚目
8–7 
1950年
(昭和25年)
西三段目28枚目
9–6 
x 西三段目18枚目
10–5 
x 西三段目5枚目
7–8 
x
1951年
(昭和26年)
東三段目6枚目
7–8 
x 東三段目7枚目
9–6 
x 西幕下28枚目
8–7 
x
1952年
(昭和27年)
東幕下21枚目
11–4 
x 東幕下10枚目
9–6 
x 西幕下筆頭
8–7 
x
1953年
(昭和28年)
西十両18枚目
優勝
12–3
東十両6枚目
8–7 
西十両5枚目
優勝
12–3
x 東前頭17枚目
12–3
x
1954年
(昭和29年)
西前頭5枚目
6–9 
東前頭9枚目
11–4 
西前頭3枚目
7–8 
x 西前頭4枚目
7–8
x
1955年
(昭和30年)
西前頭6枚目
8–7 
東前頭5枚目
6–9 
東前頭8枚目
8–7 
x 東前頭6枚目
10–5 
x
1956年
(昭和31年)
東前頭筆頭
8–7
西小結
3–12 
東前頭5枚目
10–5
x 東前頭2枚目
4–11 
x
1957年
(昭和32年)
東前頭8枚目
10–5
東前頭筆頭
7–8
西前頭2枚目
2–13 
x 東前頭11枚目
9–6 
西前頭7枚目
3–12 
1958年
(昭和33年)
東前頭16枚目
9–6 
西前頭13枚目
9–6 
東前頭11枚目
10–5 
西前頭5枚目
8–7
東前頭3枚目
8–7 
西前頭筆頭
4–11 
1959年
(昭和34年)
西前頭7枚目
8–7 
西前頭5枚目
2–13 
西前頭16枚目
10–5 
東前頭12枚目
10–5 
西前頭4枚目
6–9
東前頭9枚目
9–6 
1960年
(昭和35年)
東前頭5枚目
8–7 
西前頭4枚目
7–8 
西前頭6枚目
5–10 
東前頭10枚目
6–9 
西前頭11枚目
2–13 
西十両5枚目
7–8 
1961年
(昭和36年)
西十両6枚目
5–10 
西十両11枚目
8–7 
西十両8枚目
10–5 
東十両3枚目
9–6 
東十両筆頭
9–6 
西前頭10枚目
4–11 
1962年
(昭和37年)
東十両4枚目
9–6 
東前頭15枚目
5–10 
西十両2枚目
引退
0–0–15
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績[編集]

力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
青ノ里 3 3 朝汐(米川) 3 11 東海 2 0 東富士 1 0
愛宕山 2 1 荒岐山 0 1 安念山 11 8 泉洋 4 5
岩風 3 5 宇田川 1 1 及川 6 3 追手山 1 0
大内山 7 11 大瀬川 5 1 大田山 1 0 大ノ浦 2 0
大昇 6 2 岡ノ山 0 1 大蛇潟 1 0 海山 11 5
開隆山 0 1 鏡里 2 9 柏戸 1 1 神錦 2 2
北の洋 1 12 北葉山 1 5 君錦 0 1 清恵波 4 0
清ノ森 3 1 鬼竜川 4 1 九州錦 1 0 国登 3 7
栗家山 0 1 鯉の勢 2 0 琴ヶ濱 8 7 琴錦 3 0
櫻國 0 1 潮錦 6 8 嶋錦 7 4 清水川 6 3
大鵬 1 2 大龍 1 0  高錦 3 0 玉乃海 7 11
玉響 1 5 鶴ヶ嶺 5 10 時津山 3 13 時錦 6 3
豊國 0 1 豊登 1 0 七ッ海 1 0 名寄岩 2 1
白龍山 0 1 羽黒花 0 1 羽子錦 1 0 緋縅 1 0
備州山 2 0 広瀬川 1 1 福ノ海 1 0 房錦 5 6
冨士錦 1 5 二瀬山 1 1 双ツ龍 16 5 星甲 3 2
前田川 0 2 前ノ山(佐田岬) 2 2 松登 6 13 三根山 8 5
宮錦 7 5 宮柱 0 1 明武谷 1 0 吉田川 1 0
芳野嶺 3 3 吉葉山 2 3 若駒 0 1 若杉山 4 1
若瀬川 5 7 若秩父 2 4 若天龍 0 1 若ノ海 7 9
若の國 1 2 若乃花(初代) 1 13 若羽黒 1 10 若葉山 7 9
若前田 8 6 若三杉 2 2

改名履歴[編集]

  • 小野若 明(おのわか あきら)1949年1月場所-1951年1月場所
  • 成山 明(なるやま あきら)1951年5月場所-1960年1月場所
  • 成山 準(なるやま じゅん)1960年3月場所-1961年9月場所
  • 成山 明(なるやま あきら)1961年11月場所-1962年5月場所

関連項目[編集]