救世観世音菩薩

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救世観世音菩薩(ぐぜかんぜおんぼさつ)は、一般に救世観音と称されるが、平安時代法華経信仰から広まった名称で[1]、救世観世音菩薩という名称は経典には見えない[2]

救世は「人々を世の苦しみから救うこと」であり、救世だけで観音の別名ともされる。救世観音の名称の由来は「法華経」の観世音菩薩普門品の中の「観音妙智力 能救世間苦」との表現にあると推測され、法華経信仰が平安時代に盛んになったこと、さらには聖徳太子の伝説が付帯されることで、この尊名が生まれ、民間で定着したと考えられている[2]

秘仏と公開

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法隆寺の救世観世音菩薩像は、200年間公開されていなかった厳重な秘仏で、1884年(明治17年)、国から調査の委嘱を受けたアーネスト・フェノロサが、夢殿厨子と救世観音の調査目的での公開を寺に求め、長い交渉の末、公開されたものである。後に著作『東亜美術史綱』で像影の写真付きで公刊されている。回扉されると立ったまま500ヤード(約457メートル)の木綿の布で巻かれた状態で、解くとすごい埃とともに「驚嘆すべき世界無二の彫像は忽ち吾人の眼前に現はれたり」と表現している[3]

作例

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脚注

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  1. ^ Weblio
  2. ^ a b kotobank(朝日新聞SY)
  3. ^ アーネスト・フェノロサ『東亜美術史綱』上巻 上野公園内東京美術学校内・フェノロサ氏記念会 1921年(大正10年) p.91