新谷隆広

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新谷 隆広(しんたに たかひろ、1960年5月8日 - )は、群馬県を登録地としていた元競輪選手日本競輪学校(以下、競輪学校)第48期生。師匠は新井市太郎(競輪学校第11期生)。

来歴[編集]

競輪学校の同期に市村和昭らがいた中で、在校競走成績は113戦93勝で第1位。卒業記念レースは3位だった。

1981年10月24日、ホームバンクだった前橋競輪場でデビューし初勝利を挙げた。

1982年オールスター競輪高松競輪場)で、特別競輪(現在のGI)初出場ながら決勝に進出(競走棄権)。1989年日本選手権競輪花月園競輪場)でも決勝に進出(5着)した。

また競走の傍ら、自らが主宰するグループを立ち上げ、合計10人の弟子を育てた。その中から、後閑信一(同65期生)らを輩出した[1]

2012年1月5日選手登録削除。通算戦績2361戦320勝。

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 競輪打鐘読本、74頁。

外部リンク[編集]