日本橋駅 (東京都)
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日本橋駅 | |
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B6番出入口と東京日本橋タワー(2022年11月27日撮影) | |
にほんばし Nihombashi (髙島屋前[1][* 1]) | |
東京都中央区日本橋一丁目3-11(東京メトロ) 北緯35度40分57.1秒 東経139度46分25.3秒 / 北緯35.682528度 東経139.773694度座標: 北緯35度40分57.1秒 東経139度46分25.3秒 / 北緯35.682528度 東経139.773694度 東京都中央区日本橋一丁目13-1(東京都交通局) 北緯35度40分53秒 東経139度46分32秒 / 北緯35.68139度 東経139.77556度 | |
所属事業者 | 東京地下鉄(東京メトロ) 東京都交通局(都営地下鉄) |
電報略号 | ニホ(東京メトロ) 江→日[2](東京都交通局、駅名略称) |
駅構造 | 地下駅 |
ホーム | 2面2線(銀座線・浅草線) 1面2線(東西線) |
乗降人員 -統計年度- | (東京メトロ)-2023年- [メトロ 1]163,127人/日 (東京都交通局)-2022年- [都交 1]78,113人/日 |
開業年月日 | 1932年(昭和7年)12月24日 |
乗入路線 3 路線 | |
所属路線 | ●東京メトロ銀座線 |
駅番号 | G11 |
キロ程 | 5.7 km(浅草起点) |
◄G 10 京橋 (0.7 km) (0.6 km) 三越前 G 12► | |
所属路線 | ●東京メトロ東西線 |
駅番号 | T10 |
キロ程 | 11.5 km(中野起点) |
◄T 09 大手町 (0.8 km) (0.5 km) 茅場町 T 11► | |
所属路線 | ●都営地下鉄浅草線 |
駅番号 | A13 |
キロ程 | 13.0 km(西馬込起点) |
◄A 12 宝町 (0.8 km) (0.8 km) 人形町 A 14► | |
備考 | 駅務管区所在駅(東京メトロ)[3] |
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日本橋駅(にほんばしえき)は、東京都中央区日本橋一丁目にある、東京地下鉄(東京メトロ)・東京都交通局(都営地下鉄)の駅である。
概要
[編集]東京メトロ銀座線と東西線、都営地下鉄浅草線の計3路線が乗り入れている。駅番号は、銀座線がG 11、東西線がT 10、浅草線がA 13である。
東京メトロでは「髙島屋前」という副駅名を持ち[1]、高島屋日本橋店と直結している。駅の建設にあたっては建設費を日本橋高島屋が負担している[4]。なお1932年の開業から1955年までは「白木屋・高島屋前」、そして白木屋から東急百貨店日本橋店に名称変更して1999年に閉店するまでの間は「東急百貨店・高島屋前」と案内されていた[要出典]。
当駅と東西線・日比谷線茅場町駅との間は改札外の地下通路で接続している(通行可能時間:6時00分 - 23時00分)。ただし連絡駅とはされていないため、乗り継ぎ割引等は適用されない。
歴史
[編集]都営地下鉄が駅を設置した際は江戸橋駅(えどばしえき)と称し、銀座線日本橋駅とは別個だった。東西線日本橋駅開業後は地下通路が整備され、営団(当時)日本橋駅との連絡駅となったものの、駅名は変更されなかった。しかし、江戸川橋駅や江戸川駅と駅名が類似していることから、1989年3月19日に新宿線篠崎 - 本八幡間が開業した際「日本橋駅」に改称し、営団と駅名の統一が図られている。
都営地下鉄が駅名を変更したのは、1969年に志村駅を高島平駅に変更して以来で、都営地下鉄での駅名変更の事例はこの2件のみである[5]。
- 1932年(昭和7年)12月24日:東京地下鉄道の駅が開業。高島屋と白木屋が建設費用の一部を負担した。
- 1941年(昭和16年)9月1日:陸上交通事業調整法により東京地下鉄道が路線を帝都高速度交通営団(営団地下鉄)に譲渡。
- 1945年(昭和20年)1月27日:連合国軍機の空襲を受けて水道管が破損し浸水したため当駅 - 新橋駅間が運休となる。
- 1963年(昭和38年)2月28日:都営地下鉄1号線の江戸橋駅開業[5]。同時に営団地下鉄との連絡運輸を開始。
- 1967年(昭和42年)9月14日:営団地下鉄東西線開業。営団日本橋駅と都営江戸橋駅が乗換駅となる。
- 1971年(昭和46年)7月1日:営団では初となる駅冷房を開始(銀座駅と同時)[6][7]。
- 1978年(昭和53年)7月1日:都営地下鉄1号線が浅草線に改称[5]。
- 1983年(昭和58年)4月1日:営団の駅構内に案内所を開設[7]。
- 1984年(昭和59年)4月27日:銀座線渋谷方面乗り場を新ホームに移動[8]。
- 1989年(平成元年)3月19日:都営地下鉄浅草線の江戸橋駅を日本橋駅と改称[5][9]。
- 2004年(平成16年)4月1日:営団地下鉄の民営化に伴い、銀座線・東西線の駅は東京地下鉄(東京メトロ)に継承される[10]。
- 2007年(平成19年)3月18日:ICカード「PASMO」の利用が可能となる[11]。
- 2015年(平成27年)5月22日:東西線ホームに発車メロディを導入[12]。
- 2018年(平成30年)8月30日:銀座線ホームに発車メロディを導入[13]。
- 2021年(令和3年)12月29日:都営地下鉄の定期券売り場が営業を終了[14]。
- 2022年(令和4年)1月21日:東京メトロの定期券売り場が営業を終了[15]。
駅構造
[編集]東京地下鉄
[編集]銀座線は、中央通りと永代通りが交差する「日本橋交差点」の中央通り直下の地下2階に2面2線のホームを有する地下駅。開業当初は1つのホーム(島式1面2線)であったが、乗客の増加に対応して1984年に渋谷方面のホームを増設した。渋谷寄りのコンコース中央には臨時階段があり、臨時階段部を含めて改札内領域とすることが可能なように柵が設置されているが、通常は改札外領域のため、自動改札機は設置されていない。
東西線は、日本橋交差点の永代通り直下の地下3階に島式1面2線のホームを有する地下駅。ホームの茅場町寄りに江戸橋一丁目交差点方面改札口があり、都営浅草線への連絡通路へと通じている。また、ホーム中央、大手町寄りの階段の途中に駅事務室が設置されている。
東西線のコンコースには日本・ポルトガル友好450周年記念でリスボンメトロから贈呈された大理石製の壁画が設置されている[16]。また、B1番出入口付近に髙島屋から寄贈された大型ステンドグラスのパブリックアート「日本橋南詰盛況乃圖」が設置されている[17][18]。
駅務管区所在駅であり、日本橋駅務管区として日本橋地域、三越前地域、住吉地域を管理する[3]。
銀座線と東西線の乗り換え駅の準備工事
[編集]現在の銀座線(都市計画第3号線)と東西線(都市計画第5号線)は当駅で交差しているが、戦前の都市計画第5号線(池袋駅 - 早稲田 - 飯田町 - 一ツ橋 - 東京駅 - 永代橋 - 洲崎に至る14.2 km[19]・大正14年内務省告示第56号)は現行の東西線ルートとは異なり、都道404号(行幸通り)から東京駅地下を横切って都道408号(八重洲通り)に向かう計画であった[19]。
このため、銀座線京橋駅 - 当駅間には将来第5号線がさらに下を通ることを考慮して、連絡駅(新駅)となる相対式ホームの準備工事と、乗り換え連絡通路などが設けられる構造としていた[20]。しかし、戦後の都市計画第5号線は北側を通る現行ルート(当駅で交差)となり、この計画は実現しなかった。
のりば
[編集]番線 | 路線 | 行先[21] |
---|---|---|
1 | 銀座線 | 渋谷方面 |
2 | 浅草方面 | |
3 | 東西線 | 西船橋・津田沼・東葉勝田台方面 |
4 | 中野・三鷹方面 |
(出典:東京メトロ:構内図)
- A3番出入口(2019年1月)
- 江戸橋一丁目交差点方面改札(2021年7月)
- 高島屋方面改札口(2019年1月)
- 銀座線ホーム(2020年)
- 東西線ホーム(2022年4月)
発車メロディ
[編集]2015年5月22日から、東西線ホームで従来のブザーに代わり発車メロディの使用を開始した[22]。曲は民謡「お江戸日本橋」で、3番線では歌い終わりの部分、4番線では歌い出しの部分をアレンジしたものを使用している。編曲は向谷実が手掛けた(東西線の発車メロディについては、東京メトロ東西線#発車メロディも参照)。
2018年8月30日からは銀座線ホームでも「お江戸日本橋」をアレンジしたメロディの使用を開始した。メロディはスイッチの制作で、1番線では福嶋尚哉、2番線では塩塚博が編曲したものを使用している[13]。
東京都交通局
[編集]直営駅。浅草線ホームは、昭和通りと永代通りが交差する「江戸橋一丁目交差点」の南側地下2階に位置し、相対式ホーム2面2線を有する。
改札内に南北行ホームを結ぶ連絡通路が存在せず、「茅場町方面改札」からは1番線、「日本橋方面改札」からは2番線しか利用できない。このため、利用する方向により改札を使い分ける必要がある。
押上寄りに改札口を新設する計画がある[23]。
のりば
[編集]番線 | 路線 | 行先[24] |
---|---|---|
1 | 都営浅草線 | 西馬込・ 羽田空港・ 京急線方面 |
2 | 押上・ 京成線・ 北総線方面 |
(出典:都営地下鉄:駅構内図)
- 日本橋方面改札(2016年5月)
- ホーム(2022年12月)
利用状況
[編集]- 東京メトロ - 2023年度の1日平均乗降人員は163,127人である[メトロ 1]。
- 都営地下鉄 - 2022年度の1日平均乗降人員は78,113人(乗車人員:38,860人、降車人員:39,253人)である[都交 1]。浅草線全20駅中第5位。
年度別1日平均乗降人員
[編集]近年の1日平均乗降人員数は下表の通りである。
年度 | 営団 / 東京メトロ | 都営地下鉄 | ||
---|---|---|---|---|
1日平均 乗降人員 | 増加率 | 1日平均 乗降人員 | 増加率 | |
1999年(平成11年) | 180,594 | [25]87,329 | ||
2000年(平成12年) | 174,703 | −3.3% | ||
2001年(平成13年) | 167,916 | −3.9% | ||
2002年(平成14年) | 166,884 | −0.6% | ||
2003年(平成15年) | 163,200 | −2.2% | 78,494 | −5.2% |
2004年(平成16年) | 162,645 | −0.3% | 79,373 | 1.1% |
2005年(平成17年) | 164,617 | 1.2% | 80,573 | 1.5% |
2006年(平成18年) | 165,440 | 0.5% | 82,538 | 2.4% |
2007年(平成19年) | 174,248 | 5.3% | 86,066 | 4.3% |
2008年(平成20年) | 178,094 | 2.2% | 87,553 | 1.7% |
2009年(平成21年) | 174,693 | −2.0% | 86,707 | −1.0% |
2010年(平成22年) | 169,946 | −2.7% | 84,653 | −2.4% |
2011年(平成23年) | 165,816 | −2.4% | 82,299 | −2.8% |
2012年(平成24年) | 165,337 | −0.3% | 83,256 | 1.2% |
2013年(平成25年) | 165,326 | −0.0% | 84,833 | 1.9% |
2014年(平成26年) | 167,424 | 1.3% | 87,579 | 3.2% |
2015年(平成27年) | 174,752 | 4.4% | 91,997 | 5.0% |
2016年(平成28年) | 184,397 | 5.5% | 94,923 | 3.2% |
2017年(平成29年) | 189,764 | 2.9% | 96,939 | 2.1% |
2018年(平成30年) | 196,307 | 3.4% | 100,408 | 3.6% |
2019年(令和元年) | 199,797 | 1.8% | 101,779 | 1.4% |
2020年(令和 | 2年)[メトロ 2]128,624 | −35.6% | [都交 2]68,084 | −33.1% |
2021年(令和 | 3年)[メトロ 3]128,765 | 0.1% | [都交 3]69,772 | 2.5% |
2022年(令和 | 4年)[メトロ 4]146,916 | 14.1% | [都交 1]78,113 | 12.0% |
2023年(令和 | 5年)[メトロ 1]163,127 | 11.0% |
年度別1日平均乗車人員(1930年代)
[編集]各年度の1日平均乗車人員は下表の通りである。
年度 | 東京地下鉄道 | 出典 |
---|---|---|
1932年(昭和 | 7年)[備考 1] | |
1933年(昭和 | 8年)4,783 | [東京府統計 1] |
1934年(昭和 | 9年)7,036 | [東京府統計 2] |
1935年(昭和10年) | 7,489 | [東京府統計 3] |
年度別1日平均乗車人員(1956 - 2000年)
[編集]年度 | 営団 | 都営地下鉄 | 出典 | |
---|---|---|---|---|
銀座線 | 東西線 | |||
1956年(昭和31年) | 27,656 | 未 開 業 | 未 開 業 | [東京都統計 1] |
1957年(昭和32年) | 28,937 | [東京都統計 2] | ||
1958年(昭和33年) | 29,889 | [東京都統計 3] | ||
1959年(昭和34年) | 35,472 | [東京都統計 4] | ||
1960年(昭和35年) | 37,249 | [東京都統計 5] | ||
1961年(昭和36年) | 47,641 | [東京都統計 6] | ||
1962年(昭和37年) | 51,123 | [備考 2]4,241 | [東京都統計 7] | |
1963年(昭和38年) | 56,417 | 5,688 | [東京都統計 8] | |
1964年(昭和39年) | 48,683 | 7,988 | [東京都統計 9] | |
1965年(昭和40年) | 48,182 | 9,035 | [東京都統計 10] | |
1966年(昭和41年) | 45,687 | 10,287 | [東京都統計 11] | |
1967年(昭和42年) | 44,250 | [備考 3]22,103 | 12,611 | [東京都統計 12] |
1968年(昭和43年) | 76,581 | 54,817 | 20,354 | [東京都統計 13] |
1969年(昭和44年) | 106,152 | 96,718 | 31,122 | [東京都統計 14] |
1970年(昭和45年) | 116,395 | 117,693 | 36,771 | [東京都統計 15] |
1971年(昭和46年) | 121,505 | 124,456 | 40,063 | [東京都統計 16] |
1972年(昭和47年) | 118,600 | 125,340 | 40,523 | [東京都統計 17] |
1973年(昭和48年) | 114,726 | 116,644 | 38,778 | [東京都統計 18] |
1974年(昭和49年) | 113,756 | 38,378 | [東京都統計 19] | |
1975年(昭和50年) | 109,738 | 37,011 | [東京都統計 20] | |
1976年(昭和51年) | 48,156 | 60,893 | 37,323 | [東京都統計 21] |
1977年(昭和52年) | 47,868 | 61,600 | 37,907 | [東京都統計 22] |
1978年(昭和53年) | 46,225 | 60,321 | 37,452 | [東京都統計 23] |
1979年(昭和54年) | 46,251 | 60,642 | 37,929 | [東京都統計 24] |
1980年(昭和55年) | 46,830 | 62,367 | 38,877 | [東京都統計 25] |
1981年(昭和56年) | 47,378 | 65,233 | 39,458 | [東京都統計 26] |
1982年(昭和57年) | 47,219 | 65,493 | 40,186 | [東京都統計 27] |
1983年(昭和58年) | 46,945 | 67,710 | 40,366 | [東京都統計 28] |
1984年(昭和59年) | 48,137 | 67,748 | 41,071 | [東京都統計 29] |
1985年(昭和60年) | 47,329 | 68,236 | 41,477 | [東京都統計 30] |
1986年(昭和61年) | 48,370 | 69,896 | 44,405 | [東京都統計 31] |
1987年(昭和62年) | 48,656 | 70,904 | 46,126 | [東京都統計 32] |
1988年(昭和63年) | 48,819 | 71,647 | 47,734 | [東京都統計 33] |
1989年(平成元年) | 46,014 | 68,627 | 48,666 | [東京都統計 34] |
1990年(平成 | 2年)44,729 | 67,907 | 47,173 | [東京都統計 35] |
1991年(平成 | 3年)43,473 | 67,235 | 49,716 | [東京都統計 36] |
1992年(平成 | 4年)41,882 | 67,178 | 23,671 | [東京都統計 37] |
1993年(平成 | 5年)39,132 | 66,737 | 49,858 | [東京都統計 38] |
1994年(平成 | 6年)38,011 | 64,625 | 49,674 | [東京都統計 39] |
1995年(平成 | 7年)36,664 | 62,686 | 48,167 | [東京都統計 40] |
1996年(平成 | 8年)35,660 | 62,581 | 47,466 | [東京都統計 41] |
1997年(平成 | 9年)34,430 | 62,537 | 46,699 | [東京都統計 42] |
1998年(平成10年) | 34,748 | 62,463 | 45,395 | [東京都統計 43] |
1999年(平成11年) | 31,473 | 57,377 | 43,481 | [東京都統計 44] |
2000年(平成12年) | 30,822 | 55,397 | 42,836 | [東京都統計 45] |
年度別1日平均乗車人員(2001年以降)
[編集]近年の1日平均乗車人員の推移は下表の通りである。
年度 | 営団 / 東京メトロ | 都営地下鉄 | 出典 | |
---|---|---|---|---|
銀座線 | 東西線 | |||
2001年(平成13年) | 30,348 | 53,463 | 40,427 | [東京都統計 46] |
2002年(平成14年) | 29,603 | 53,115 | 41,014 | [東京都統計 47] |
2003年(平成15年) | 29,232 | 51,962 | 38,943 | [東京都統計 48] |
2004年(平成16年) | 31,121 | 52,512 | 39,395 | [東京都統計 49] |
2005年(平成17年) | 30,830 | 52,784 | 39,893 | [東京都統計 50] |
2006年(平成18年) | 30,800 | 53,644 | 40,882 | [東京都統計 51] |
2007年(平成19年) | 32,560 | 56,038 | 42,691 | [東京都統計 52] |
2008年(平成20年) | 33,438 | 57,200 | 43,610 | [東京都統計 53] |
2009年(平成21年) | 32,521 | 56,392 | 43,212 | [東京都統計 54] |
2010年(平成22年) | 31,482 | 54,940 | 42,182 | [東京都統計 55] |
2011年(平成23年) | 30,917 | 53,616 | 41,172 | [東京都統計 56] |
2012年(平成24年) | 30,707 | 53,131 | 41,533 | [東京都統計 57] |
2013年(平成25年) | 30,054 | 53,939 | 42,401 | [東京都統計 58] |
2014年(平成26年) | 29,844 | 55,066 | 43,694 | [東京都統計 59] |
2015年(平成27年) | 30,751 | 57,923 | 45,860 | [東京都統計 60] |
2016年(平成28年) | 32,704 | 60,762 | 47,332 | [東京都統計 61] |
2017年(平成29年) | 33,844 | 62,381 | 48,232 | [東京都統計 62] |
2018年(平成30年) | 35,510 | 63,973 | 49,962 | [東京都統計 63] |
2019年(令和元年) | 37,033 | 64,257 | 50,574 | [東京都統計 64] |
2020年(令和 | 2年)[都交 2]33,854 | |||
2021年(令和 | 3年)[都交 3]34,683 | |||
2022年(令和 | 4年)[都交 1]38,860 |
- 備考
駅周辺
[編集]- 日本橋川
- 日本橋一丁目三井ビルディング
- 日本橋郵便局
- 髙島屋日本橋店
- 西武信用金庫 日本橋支店
- 信金中央金庫
- 日本橋丸善東急ビル
- 日本橋フロント
- 日鉄日本橋ビル
- 日鉄ケミカル&マテリアル本社
- 日鉄物流本社
- 野村證券日本橋本社
- 山陽特殊製鋼東京支社
- 西日本シティ銀行東京支店
- 第一三共ヘルスケア本社
- 日本橋野村ビルディング
- 東京建物日本橋ビル
- 日本メナード化粧品 東京支店
- ENEOSトレーディング本社
- 伊予銀行東京支店
- 武田グローバル本社
- 武田薬品工業東京本社
- 東京日本橋タワー
- 日本橋ダイヤビルディング
- オンワードパークビルディング
- オンワードホールディングス本社
- オンワード樫山本社
- オンワードホールディングス本社
- 東京駅日本橋口
- JR高速バスおりば
- 永代通り - 真下を東西線が走り、当駅と大手町駅・茅場町駅の出入口が50mから200mおきに設置されている。
- 昭和通り
- 中央通り
- 外堀通り
- 首都高速都心環状線江戸橋入口(内回り)
バス路線
[編集]- 日本橋(東京駅方面:C4出口付近、南千住・錦糸町方面:B10・C1出口付近)
- 地下鉄日本橋駅(B9出口付近)
- 呉服橋(A1出口付近)
- 日立自動車交通
- 中央区コミュニティバス(江戸バス)北循環:中央区役所行き
- 晴海ライナー TYO-01系統:晴海二丁目行き
- 晴海ライナー TYO-03系統:晴海トリトンスクエア行き
- 日本橋二丁目 / 日本橋髙島屋 / 東京VIPラウンジ(B1出口付近)
- 日の丸自動車興業(日本橋二丁目)
- メトロリンク日本橋:地下鉄宝町駅・東京駅八重洲口方面
- メトロリンク日本橋Eライン:東京駅八重洲口・地下鉄水天宮前駅方面
- 日立自動車交通(日本橋髙島屋)
- 晴海ライナー TYO-01系統:晴海二丁目行き
- 晴海ライナー TYO-03系統:晴海トリトンスクエア行き
- 平成エンタープライズ(東京VIPラウンジ)
- VIPライナー:名古屋・大阪・金沢行き
隣の駅
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b “日本橋駅 日本橋エリア すてきな街を、見に行こう。”. 三菱地所の住まいリレー. 三菱地所. 2024年9月27日閲覧。
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利用状況に関する出典
[編集]- 地下鉄の統計データ
- 東京地下鉄の1日平均利用客数
- ^ a b c “各駅の乗降人員ランキング”. 東京地下鉄. 2024年6月24日閲覧。
- ^ “各駅の乗降人員ランキング(2020年度)”. 東京地下鉄. 2023年6月27日閲覧。
- ^ “各駅の乗降人員ランキング(2021年度)”. 東京地下鉄. 2023年6月27日閲覧。
- ^ “各駅の乗降人員ランキング(2022年度)”. 東京地下鉄. 2024年6月24日閲覧。
- 東京都交通局 各駅乗降人員
- ^ a b c d 令和4年度 運輸統計年報 (PDF) (Report). 東京都交通局. 2023年11月3日時点のオリジナル (pdf)よりアーカイブ。2023年11月3日閲覧。
- ^ a b “各駅乗降人員一覧|東京都交通局”. 東京都交通局. 2021年11月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月13日閲覧。
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- 東京府統計書
- 東京都統計年鑑
- ^ 昭和31年 (PDF) - 10ページ
- ^ 昭和32年 (PDF) - 10ページ
- ^ 昭和33年 (PDF) - 10ページ
- ^ 昭和34年
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- ^ 平成26年
- ^ 平成27年
- ^ 平成28年
- ^ 平成29年
- ^ 平成30年
- ^ 平成31年・令和元年
参考文献
[編集]- 東京地下鐵道『東京地下鉄道史. 坤』実業之日本社、1934年6月20日。全国書誌番号:47011567 。
- 『東京地下鉄道丸ノ内線建設史(上巻)』帝都高速度交通営団、1960年3月31日 。
関連項目
[編集]- 日本の鉄道駅一覧
- 日本橋駅 (大阪府)
- 日本橋 (東京都中央区)
- 髙島屋 / 白木屋 (デパート) / 東急百貨店 - 東京地下鉄道の時に、駅建設費を負担した企業。
- 都営浅草線東京駅接着 - 東銀座駅から東京駅を経由して当駅までを結ぶ分岐線(デルタ線)の構想があり、当駅は押上側の分岐駅となる予定だったが、都心直結線(京成押上線押上駅 - 新東京駅 - 京急本線泉岳寺駅)の計画に取って代わられた。