月澄江

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つき すみえ
月 澄江
本名 前川 澄枝 (まえかわ すみえ、出生名)
小林 澄枝 (こばやし すみえ)
生年月日 (1916-10-18) 1916年10月18日
没年月日 不詳年
出生地 日本の旗 日本 埼玉県秩父郡秩父町宮ノ側(現在の同県秩父市宮側町
職業 女優
ジャンル 新派劇映画時代劇剣戟映画サイレント映画トーキー
活動期間 1930年前後 - 1961年
配偶者 中川某
小林重四郎
著名な家族 五月信子 (叔母/母の妹)
子女5名
主な作品
娘と学生と職人
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月 澄江(つき すみえ、1916年10月18日 - 没年不詳)は、日本の女優である[1][2]。出生名前川 澄枝(まえかわ すみえ)、結婚後の本名は小林 澄枝(こばやし すみえ)[1]

人物・来歴

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1916年大正5年)10月18日埼玉県秩父郡秩父町宮ノ側(現在の同県秩父市宮側町)に生まれる[1]。母の妹が女優の五月信子(1894年 - 1959年、本名前川しのぶ)である[1][3]

旧制・秩父郡立秩父尋常小学校(現在の秩父市立秩父第一小学校)を卒業した後、1930年(昭和5年)前後に五月信子・高橋義信夫妻の「近代座」に参加し、川村花菱の新派悲劇『母三人』で初舞台を踏む[1]。1933年(昭和8年)、京都の松竹下加茂撮影所に入社、同年12月14日に公開された、川村花菱原作、井上金太郎監督のサイレント映画上州土産百両首』で尾上栄五郎の相手役を務めて、満17歳で映画界にデビューした[1][2]

1934年(昭和9年)、新興キネマ現代部(京都)に移籍して現代劇に転向、同年8月8日に公開された神永恵雄監督の『娘と学生と職人』に主演している[1][2]。同年後半には、当時同社と配給提携していた嵐寛寿郎プロダクションに招かれて専属俳優となり、『鞍馬天狗』3作で嵐寛寿郎の相手役を務める[1][2]。1935年(昭和10年)2月1日に公開された並木鏡太郎監督の『右門捕物帖 七化け大名』が、月にとっての初めてのトーキーであった[2]。同年3月21日に公開されたマキノ正博山本松男共同監督によるトーキー『なりひら小僧 春霞八百八町』を最後に同社を離れ、半年ほど「関西新派」の舞台に参加する[1][2]。同年秋には日活京都撮影所に移籍して、稲垣浩監督の『千両礫』、久見田喬二監督の『封印半次郎』に出演する[1][2]

同年11月にマキノ正博が新しく設立したマキノトーキー製作所に第二期入社として1936年(昭和11年)に移籍、おもに沢村国太郎ら主演俳優の相手役を務めた[1][2][4]。1937年(昭和12年)4月末、同社が解散し[2][4]、月は同年、俳優の小林重四郎と結婚しているが、双方とも二度目の結婚で、月の連れ子が1名、小林の連れ子が2名、その後もさらに2名の子をもうけた[1][5]。同年秋までに、大阪府南河内郡古市町白鳥園(現在の羽曳野市翠鳥園)の極東キネマに入社、同社が製作・配給するサイレント(のち解説版)の剣戟映画に出演する[1][2]。1938年(昭和13年)9月22日に公開された末崎精二監督の解説版『江戸の獅子王』に出演したのを最後に、同社を退社、夫とともに「小林重四郎一座」を結成、舞台に活動の場を移す[1][2]第二次世界大戦中は、やがて夫が召集を受けて戦地に赴任するのを受けて、自ら座長となり「新女苑」を結成している[1]。1944年(昭和19年)5月には、花菱アチャコの「アチヤコ劇団」に所属し、花月劇場での『虎猫社長』や『車屋さん』、『お父つさん』(同年7月)、『道連三人旅』(同年8月)に宮村松江らとともに出演した記録がある[6]

第二次世界大戦の終結後は、1949年(昭和24年)に夫は映画界に復帰したが[7]、月は舞台畑を歩んだ。新派の「水谷八重子一座」に参加、テレビドラマにも出演した[1][8]。1961年(昭和36年)引退[1]。1996年(平成8年)6月6日、夫の小林重四郎が吉幾三一座の舞台の途中に倒れ、死去した(満87歳没)[5]。『日本映画俳優全集・男優編』の小林の項目には、3男1女ありとあるが、これは月の連れ子(「中川」姓[5])がカウントされておらず、「夫人(月澄江)の姉は女優の五月信子」とあるのは前述の通り、月の母の妹の誤りである[1][9]。月の前夫については定かではない[1][5]

フィルモグラフィ

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すべてクレジットは「出演」である[2]。公開日の右側には役名、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[10]。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。

松竹下加茂撮影所

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すべて製作は「松竹下加茂撮影所」、配給は「松竹キネマ」である[2]。すべてサイレント映画である[2]

新興キネマ現代部

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すべて製作は「新興キネマ現代部」(京都)、配給は「新興キネマ」である[2]。すべてサイレント映画である[2]

嵐寛寿郎プロダクション

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特筆以外すべて製作は「嵐寛寿郎プロダクション」、配給は「新興キネマ」である[2]

日活京都撮影所

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すべて製作は「日活京都撮影所」、配給は「日活」である[2]

マキノトーキー製作所

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槍持街道』(監督中川信夫、1936年)、右が月、左の槍持ちが田村邦男

初期の特筆以外すべて製作・配給は「マキノトーキー製作所」である[2]。すべてトーキーである[2]

極東キネマ

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すべて製作は「極東キネマ古市白鳥園撮影所」、配給は「極東キネマ」である[2]。一部「解説版」以外すべてサイレント映画である[2]

テレビドラマ

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すべて製作・放送は「日本テレビ放送網」である[8]。いずれも「テレビ映画」ではなく、舞台劇の延長線上にある「放送劇」(テレビドラマ)である[8]

  • 夫婦百景
    • 第83回『文化功労賞夫婦』、作・演出不明、1959年12月7日放送
    • 第111回『技能賞女房』、作池田忠雄、演出不明、1960年6月20日放送
  • 決定的瞬間』第24回『53分の1』、作大津皓一、演出不明、1961年6月15日放送
  • 『芥川龍之介シリーズ 忠義』前編・後編、作灘千造、演出荻原敏雄、1961年9月1日/8日放送
  • 人生の四季
    • 第16回『入れ墨』、作・演出不明、1961年9月14日放送
    • 第46回『孔子の辻斬り』、作丸根賛太郎、演出不明、1962年4月19日放送

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 月澄江jlogos.com, エア、2012年11月30日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 月澄江日本映画データベース、2012年11月30日閲覧。
  3. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus『五月信子』 - コトバンク、2012年11月30日閲覧。
  4. ^ a b マキノ[1977]、p.338-374.
  5. ^ a b c d 新潮社[1996]、p.121.
  6. ^ 国立劇場、p.139, 144, 152, 156.
  7. ^ 小林重四郎 - 日本映画データベース、2012年11月30日閲覧。
  8. ^ a b c 月澄江テレビドラマデータベース、2012年11月30日閲覧。
  9. ^ キネマ旬報社[1979], p.222-223.
  10. ^ a b 月澄江東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月30日閲覧。
  11. ^ 鞍馬天狗 鉞組暗躍篇、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月30日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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