有仍氏
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有仍氏(ゆうにょうし、ゆうじょうし、拼音: yǒuréng shì)は、中国の歴史書に見える夏・殷の時代の氏族。主な出身人物は相の后である緡や玄妻。
有仍氏は有任氏、或いは有扔氏と書かれる事もあるが、それは上古の時代、「仍」と「任」と「扔」が通仮字であった事が原因である。『漢書』顔師古注には「扔音仍」とある。
概要
[編集]有仍氏の姓は伏羲[注釈 1]あるいは蒼頡[注釈 2]を祖とする風姓(元は己姓)で、その本貫は古代の兗州の任城・亢父に相当する現在の山東省済寧市金郷県・任城区であるとされる[注釈 3]。
『荘子』には「任公子」という釣り人の話がある。
戦国時代に滅ぼされたとされるが、その原因は不明である。
中国の唐代に生きた沈既済は、妖狐が任氏の美女に変化して鄭六という人物の妻になるという『任氏伝(じんしでん)』を書いた。
脚注
[編集]- ^ 『路史』国名紀「風 上世因國於風而為姓。故帝之後、有風后(佐黃帝、滅蚩尤者)。堯誅大風、禹訪風后。皆其祚云(大風若大夏大封然)。地當汊水(『元和郡縣圖志』云、「復州竟陵縣城、本古風城、古之風國。即伏羲風姓也。南臨汊水、澨水也。武德中置汊川縣、𨽻沔、顯徳五年、𨽻安本魏之汊川、郡出郢州)。」、「傳曰、任・宿・須句・顓㬰、風姓也。邑于濟上。實司太昊與有濟之祀、風姓。顓㬰、魯親之舊也。故邾人滅須句、成風請封之。」
- ^ 『路史』国名紀「任 禹陽國、倉頡為任大夫。晉邑、今邢之任縣。」
- ^ 『路史』国名紀「任 伯爵。本己姓。帝魁母家逮黃帝以封幼子周之繼絶也。以居風姓。今濟陽之任城。『水經注』云、亢父故城西夏后氏之任國也。亢父即今任城、唐𨽻兖州。或曰仍也。故晉志以仍與有仍為二。