朔平門 ウィキペディアから無料の百科事典 平安京内裏諸門図 京都御所の朔平門 朔平門(さくへいもん[1])は、平安京内裏の外郭門の1つ、または京都御所の門の1つ。「朔」は北の意。 概要[編集] 平安宮内裏外郭の北正面にあり、内郭の玄輝門と相対する。その西に式乾門があり、門外の東西に仗舎を設けてある。この門のすぐ北に縫殿寮の建物があるため「縫殿陣」ともいい、「北面僻仗中門」ともいった。 南面との構造を比較して、この門の東に門が存在しないことが疑問視されており、裏松光世は『大内裏図考証』で「華芳房を設置する際に門が廃されたのではないか」と述べている[2]。 脚注[編集] ^ 「さくべいもん」とも『国史大辞典』(吉川弘文館)「朔平門」の項(朧谷寿執筆)。また、「さへいもん」ともいう ^ 石村貞吉 嵐義人 校訂『有職故実 上』 講談社学術文庫 ISBN 978-4061588004、163p 関連項目[編集] 璹子内親王:院号宣下により「朔平門院」を称した。花園天皇の同母姉・後伏見天皇の異母姉であることから、どちらかの准母として立后されたためか。 朔平門外の変 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集