木俣守明

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木俣 守明(きまた もりあき、慶長13年(1608年) - 元禄3年11月2日1690年12月2日)は、彦根藩筆頭家老、木俣家第3代当主。

父は木俣守安。子は木俣守長、木俣守閑。通称半弥、清三郎、清左衛門。号常閑。

略歴[編集]

慶長13年(1608年)井伊家家老木俣守安の子として生まれる。慶安3年(1650年)家老となり、2000石を給される。藩主井伊直孝直澄直興の3代に仕えた。寛文元年(1661年)父の隠居により家督相続する。父の知行と合わせて7000石となる。寛文3年(1663年)執権職(大老)となる。延宝4年(1676年)藩主直澄の遺命により1000石の加増を受け、知行8000石。藩主直興家督相続の御礼言上の際に、江戸城黒書院で将軍徳川家綱に拝謁する。延宝8年(1680年)三男守閑が400石で分家する。天和元年(1681年)隠居して家督を嫡男守長に譲り、隠居料1000石を賜る。元禄3年(1690年)11月2日死去。享年83。

三男守閑の次男守嘉は、従兄弟守吉(守長次男、1000石)の家督を相続し、正徳4年(1714年)藩主直興の娘と結婚した。その子守次は、享保17年(1732年)従兄弟の与板藩藩主井伊直陽の養子となり、第3代藩主井伊直員となる。

参考文献[編集]