李元則

ウィキペディアから無料の百科事典

李 元則(り げんそく、生年不詳 - 永徽3年4月7日[1]652年5月20日))は、中国の高祖李淵の十二男。母は王才人。は彝。

経歴[編集]

武徳4年(621年)、荊王に封じられた。貞観7年(633年)、豫州刺史に任じられた。貞観10年(636年)、彭王に改封され、遂州都督に任ぜられた。間もなく冠服が位階を越えて僭越であるとして免官された。貞観17年(643年)、澧州刺史に任じられ、態度を改めて職務に精励し、名声をえた。永徽3年(652年)に世を去ると、司徒荊州大都督の位を追贈され、献陵に陪葬された。を思といった。高宗は望春宮に登って、彼の葬列が過ぎるのを望み、はげしく慟哭したという。

子がなく、霍王李元軌の子の李絢が後を継ぎ、龍朔年間に南昌王に立てられた。

脚注[編集]

  1. ^ 『旧唐書』巻4, 高宗紀上 永徽三年四月甲午条による。

伝記資料[編集]

  • 旧唐書』巻64 列伝第14「彭王元則伝」
  • 新唐書』巻79 列伝第4「彭王元則伝」