杜契

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杜 契(と けい、生没年不詳)は、中国後漢末期から三国時代道士広平雍州京兆郡杜陵県の人。『三国志』には記述は無い。

生涯

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杜契は建安の初年、江南に渡来し、孫策を頼って会稽に入り、常に彼につき従った。その後、孫権の元で立信校尉となった。

黄武2年(223年)、この頃から次第に仙道を学び、介琰[1]に出合って玄白の術(玄白法)を授けられ、大茅山の東側に隠れ住んだ。

玄白を守る者は健を隠すことができるが、またしばしば姿を現して、このあたりの町中に出て来ることもある。杜契・徐宗度[2]晏賢生[3]のあわせて三人はそろって茅山中におり、時おり洞天内に入って来ることができる。あるいは自ら草を摘み木を伐って村里で衣服や食糧と交易することもあるのだが、どの人も彼らが仙人だと気づかないという。

杜契の弟子は2人おり、孫寒華陳世京である。彼らすべて数百歳生きたという。

参考文献

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脚注

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  1. ^ 介琰は白羊公の弟子である。今は建安の方山中にいるという。介琰は、『禁山符』によると、「孫権に殺されたが、体を燮化させて逃げ去り、建安の方山に出かけて白羊公を訪ねた」とある。その頃に杜契は介琰から仙道を授かったと思われる。
  2. ^ 徐宗度は建安郡の人。孫晧の左典軍呂悌の司馬となり、風谷先生の気禁の道を授かったという。
  3. ^ 晏賢生は歩騭の外甥にあたり、徐宗度の弟子である。
  4. ^ 「六朝道敎の研究」研究班「『眞誥』譯注稿(三)」『東方學報』第70巻、京都大學人文科學研究所、1998年3月、567-786頁、CRID 1390853649773030528doi:10.14989/66790hdl:2433/66790ISSN 0304-2448