トーハツ
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種類 | 株式会社 |
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本社所在地 | 日本 〒174-0051 東京都板橋区小豆沢三丁目5番4号 |
設立 | 1932年(昭和7年)10月20日 (タカタモーター製作株式会社) |
業種 | 機械 |
法人番号 | 2011401004553 |
事業内容 | 船外機(小型漁船およびレジャー用) 舟艇 各種ポンプ(特に消防・土木用) 小型全自動消防車 リモコンポンプ積載車 輸送車用冷凍装置 |
代表者 | 日向勇美(代表取締役社長) |
資本金 | 5億円 |
発行済株式総数 | 1000万株 |
売上高 | 連結:282億8476万1千円 単独:187億0025万3千円 (2021年3月期) |
営業利益 | 連結:21億5230万2千円 単独:18億7462万1千円 (2021年3月期) |
純利益 | 連結:18億6427万5千円 単独:16億2152万7千円 (2021年3月期) |
純資産 | 連結:159億8240万6千円 単独:155億2351万6千円 (2021年3月31日現在) |
総資産 | 連結:416億3082万6千円 単独:306億4904万6千円 (2021年3月31日現在) |
従業員数 | 連結:497名 単独:454名 (2021年3月31日現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 | 三井不動産(株) 6.35% 朝日生命保険相互会社 4.92% (株)みずほ銀行 4.84% (2021年3月31日現在) |
主要子会社 | トーハツマリーン(株) 50% |
外部リンク | http://www.tohatsu.co.jp/ |
トーハツ株式会社(Tohatsu Corporation)は、東京都板橋区に本社を置く、船外機、消防ポンプを主に生産販売している日本の製造業者。
旧社名の「東京発動機」時代は「トーハツ」ブランドのオートバイメーカーとして知られた。1955年にはオートバイの生産台数でトップとなり、オートバイレースで連戦連勝を記録するなど、本田技研工業(ホンダ)を凌ぐ日本一のオートバイメーカーであった[1]。しかし、この年を境に売上の8割を占めるまでになっていた二輪車事業がシェア争いから脱落したことで経営不振に陥り、筆頭株主であった富士電機製造が経営を掌握するも業績が改善せず、1964年に会社更生法の適用を決定した[1]。
概要
[編集]内燃機関の専門家であった高田益三によって1922年(大正11年)に設立された「タカタモーター研究所」(東京市京橋区)が前身である[1]。発動機付揚水ポンプを生産し、逓信省他に納入した。タカタモーター企業社、タカタモーター製作株式会社を経て、1932年(昭和7年)に株式会社に改組、1939年(昭和14年)、「東京発動機株式会社」と名を改めた。
後にオートバイメーカーとして名を馳せることになる同社であるが、第二次世界大戦前は2ストロークガソリンエンジンを主力とし、軍の発電用エンジンを主に生産、軍管理工場となった。戦後は国鉄・漁業・農業向けエンジン等を生産し、1949年(昭和24年)には日本最初の可搬型の消防ポンプを発売した。オートバイ事業に着手したのはホンダより若干遅く、1950年(昭和25年)に前輪駆動のバイクモーター(自転車取り付けエンジン。モペッド参照)「トーハツ・パピー」を発売したが、カブには敵わず、本格的なオートバイを指向することとなった。
初めて世に出たトーハツの本格的なオートバイは1953年(昭和28年)のPK53型であった(2ストローク単気筒98cc)。このモデルは性能が良く、安価であった。ベストセラー車は翌1956年(昭和31年)のPK56型(空冷2ストローク単気筒123 cc)である。
1955年度(昭和30年度)には販売業績で日本一となった。当時は、国内メーカーが100社以上撤退する不景気に直面していたが、トーハツは飛ぶ鳥を落とす勢いで成長しており、経営体質が弱かったシェア2位のホンダの成増工場の買収にも乗り出した。買収は失敗に終わるが、このことは後の技術競争に影を落とすこととなった[2]。
ホンダは1952年から1954年にかけて行った巨額の設備投資と楽観的資金繰りで危機に陥っていたが、藤沢武夫による徹底した合理化と増産禁止により体質を改善[3]。1957年にホンダが全国統一価格の発表および10 - 15%の価格引き下げを伴って増産に打って出ると、これがトーハツを直撃した[3]。加えて、ホンダと同様に高性能車(スポーツ車)を市場へ投入する鈴木自動車工業(現・スズキ)とヤマハ発動機(ヤマハ)の急追で、トーハツのシェアは1960年に3.9%にまで落ちた(ホンダ48.1%、スズキ11.5%、ヤマハ9.6%)[3]。顧客層の性格から実用車重視でスポーツ車の投入に遅れを取り[3]、その後シェアを回復できなかった東京発動機は1964年(昭和39年)に倒産、会社更生法の適用を受けた。
トーハツはオートレース用オートバイ(競走車)も手がけ、1950年(昭和25年)に船橋オートレース場ができた時から参加し、100 ccクラスでは圧倒的な強さを見せた。
会社更生法適用後は、本社を板橋に移し、トーハツ株式会社として船外機(1956年発売。日本で最初)、消防ポンプ(1949年発売。日本で最初)、消防車、輸送用冷凍冷蔵車の冷凍機等の開発・生産を続けており、可搬型消防ポンプでは50%以上の市場占有率を誇る[4]。
脚注
[編集]- ^ a b c “TOHATSU History 1922-2022”. トーハツ株式会社 (2022年10月17日). 2022年12月22日閲覧。
- ^ “ホンダの2度の倒産危機・復活に凝縮される、本田宗一郎の真の凄さ”. BIZ HINT (2020年4月12日). 2020年4月17日閲覧。
- ^ a b c d 水川侑「二輪自動車産業における寡占体制形成(7) 第9章 鈴木自動車工業と本田技研工業の品質・性能競争及びモーターサイクル市場における寡占化」『専修経済学論集』第46巻第2号、専修大学経済学会、2011年12月、1-29頁、CRID 1390853649755204480、doi:10.34360/00000730、ISSN 03864383、2024年6月7日閲覧。
- ^ “「トーハツR&Dセンター」OPENについて”. トーハツ ホームページ (2018年9月20日). 2020年4月19日閲覧。
関連項目
[編集]- 東昌自動車工業 - 1958年に昌和製作所と共同出資で設立した原動機付自転車メーカー
- プレジャーボート
- ブランズウィック・コーポレーション - トーハツマリーンはブランズウィックとの合弁企業となる。
- マーキュリー・マリーン - 2014年よりマーキュリーとの間で15馬力から30馬力の船外機の共同開発が行われた。
- エヴィンルード - 2011年より船外機のOEM供給を行う。
- 本田技研工業 - 2013年7月より4ストローク船外機(60 - 250馬力)のOEM供給を開始する。
- ヤンマー - 2018年よりプレジャーボートのOEM供給を行っている。
- 菱重コールドチェーン - 冷凍冷蔵車向け冷凍ユニットのOEM供給を行う。
- 生沢徹 - 元々同社のワークスライダーだった。
- 鈴木忠男 - 一時期同社のワークスライダーだった。
- ダイハツ工業 - 現社名は旧社名「発動機製造」が「大阪の発動機」から「ダイハツ」と通称されたことに由来。
- カワサキモータースジャパン - 旧社名「明発工業」は「明石の発動機」に由来。「明発」のち「メイハツ」ブランドのオートバイを製造していた。
外部リンク
[編集]- TOHATSU - 公式サイト