松下むめの
ウィキペディアから無料の百科事典
まつした むめの 松下 むめの | |
---|---|
生誕 | 1896年3月3日 兵庫県津名郡浦村(現在の淡路市) |
死没 | 1993年9月5日(97歳没) 兵庫県西宮市 |
国籍 | 日本 |
別名 | 社員の母 |
職業 | 松下幸之助の配偶者[1] |
配偶者 | 松下幸之助 |
子供 | 松下幸子 |
親 | 井植清太郎 |
親戚 | 松下正治(義理の息子) 松下正幸(孫) 松下弘幸(孫) 井植歳男(弟) |
松下 むめの(まつした むめの、英語:Mumeno Matsushita, 1896年(明治29年)3月3日 - 1993年(平成5年)9月5日)は、パナソニックの創設者である松下幸之助の配偶者。三洋電機の創設者である井植歳男の姉であった[2]。
人物
[編集]井植清太郎の次女として兵庫県津名郡浦村(現在の淡路市)に生まれる[3]。1915年(大正4年)に松下電器工業創業者の松下幸之助と結婚した後[3]、同会社の従業員の世話係や幸之助の経理等を務め[3]、「社員の母」という異名を持った[3]。後にみどり会結成の一員としても活動した[3]。
著作
[編集]系譜
[編集]井植清太郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
中尾哲二郎 | やす江 | 井植薫 | 井植祐郎 | 井植歳男 | 松下むめの | 松下幸之助 | 平田松堂 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
井植貞夫 | 井植敏 | 幸子 | 松下正治 | 敬子 | 丹羽正治 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
井植敏雅 | ヒロ松下(弘幸) | 松下正幸 | 敦子 | 関根恒雄 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
関根大介 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大衆文化の中で
[編集]脚注
[編集]- ^ “パナソニックの配線器具事業が、世界トップを狙うまで成功した理由。松下幸之助が語った「物をつくる前にやるべきこと」とは”. HuffPost. (2012年7月16日) 2021年11月11日閲覧。
- ^ “松下幸之助に献身的に尽くした妻・むめのの名言集!【歴史秘話ヒストリア】” 2021年11月11日閲覧。
- ^ a b c d e 松下むめの プロフィール - HMV&BOOKS Online
- ^ “『神様の女房』高橋誠之助著”. 著者に聞く. 新s: p. 1. (2011年10月4日) 2021年11月24日閲覧。
外部リンク
[編集]- 「日本で一番、金の遣い方が巧い人物」経営の神様・松下幸之助が最晩年までこだわった"ある構想"
- 松下幸之助 博物館
- 『松下むめの』- コトバンク(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)