松平保定

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松平 保定(まつだいら もりさだ、1926年(大正15年)8月19日[1] - 2011年(平成23年)8月9日)は、日本の実業家で会津松平家の13代目当主、旧華族子爵)である。東京出身[2]松平保男の次男。生母は水野忠敬の娘・進子。息子は松平保久NHKエンタープライズプロデューサー)。孫である親保は保久の長男。

1944年、父の死去に伴い18歳で爵位を継承した。1945年、財団法人会津保松会(現・会津松平家奉賛会)設立の際に名誉顧問となり、会津藩主松平家墓所(院内御廟)や御薬園の維持・管理を行った[3]。大学卒業後は農林中央金庫に29年間勤務した。定年退職後、松平永芳靖国神社の宮司を退任するに当たり、その後任の打診があった。初めは受ける気だったが、旧会津家臣の意見もあって「賊軍とされた会津の戦死者が祀られていないのに、会津人として受けるわけにはいかない」として断った[2][4]。1989年の昭和天皇崩御の際には、大葬祭官に任命された[3]。2011年8月9日、肺炎のため死去[5]。84歳没。

脚注[編集]

  1. ^ 平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.586
  2. ^ a b ならぬ事はならぬ 会津魂” (2009年9月15日). 2018年1月19日閲覧。
  3. ^ a b 歴代藩主・当主、会津松平家奉賛会
  4. ^ 久邇邦昭『少年皇族の見た戦争: 宮家に生まれ一市民として生きた我が生涯』(PHP研究所、2015年)183頁
  5. ^ 訃報:松平保定さん 84歳=会津松平家13代当主 /福島 - 毎日新聞、2011年8月12日
日本の爵位
先代
松平保男
子爵
(会津)松平家第3代
1944年 - 1947年
次代
華族制度廃止