松平定儀

ウィキペディアから無料の百科事典

 
松平定儀
時代 江戸時代中期
生誕 延宝8年(1680年
死没 享保12年9月25日1727年11月8日
墓所 三重県桑名市照源寺
官位 従五位下越中守
幕府 江戸幕府旗本
主君 徳川家宣家継吉宗
越後高田藩
氏族 久松松平家定勝
父母 松平定重、笹尾氏
松平定輝
兄弟 定富定逵定儀水野忠定定弘
柳生俊平定利、福姫、松平忠雅室、
松平宗弥正室ら
定泰、千賀姫、酒井忠用正室
幾姫定賢
テンプレートを表示

松平 定儀(まつだいら さだのり)は、江戸時代中期の旗本大名越後国高田藩4代藩主。定綱系久松松平家6代。官位従五位下越中守

生涯

[編集]

初代藩主・松平定重の六男として誕生。母は笹尾氏。

正徳2年(1712年)9月7日、本家から蔵米5000俵を分け与えられて旗本として分家した。寄合衆に所属した。享保10年(1725年)10月11日、甥で先代藩主の定輝が早世したため、その跡を継いだ。同年12月7日、8代将軍・徳川吉宗御目見する。同年12月18日、従五位下・越中守に叙任する。

松平定儀墓所(桑名市照源寺)

享保12年(1727年)3月15日、お国入りする許可を得る。同年9月25日、高田で死去し、跡を養嗣子・定賢が継いだ。法号は大超院殿崇誉倒休大居士。

系譜

[編集]

父母

子女

養子、養女