柳斎周秀 ウィキペディアから無料の百科事典 柳斎 周秀(りゅうさい ちかひで、生没年不詳)とは、江戸時代末期から明治時代にかけての浮世絵師。 来歴[編集] 豊原国周の門人。姓名不詳、江戸の生れで柳斎周秀と号している。慶応(1865年‐1868年)から明治初期に活躍しており、主として役者絵を描いているが作品は少ない。慶応3年(1867年)の大錦3枚続「降御影街賑」に、同門であった楊洲周延とともに国周の補筆をしている。 作品[編集] 「梶原源太・梅ヶ枝」 大判2枚続 錦絵 石川県立美術館所蔵 参考文献[編集] 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。表示編集