柿並隆幸 ウィキペディアから無料の百科事典 凡例柿並隆幸時代 戦国時代生誕 不詳死没 天文23年6月5日(1554年7月4日)別名 通称:小平太、四郎三郎主君 大内義興→義隆→義長氏族 多々良姓大内氏庶流柿並氏父母 父:柿並弘慶子 高石興幸、隆正テンプレートを表示 柿並 隆幸(かきなみ たかゆき)は、戦国時代の武将。大内氏家臣。父は柿並弘慶。 生涯[編集] 大内氏庶流の柿並弘慶の子として生まれる。 大永7年(1527年)6月28日に父・弘慶が死去すると、その後を継いで大内義興、義隆、義長に仕えたが、天文23年(1554年)6月5日の折敷畑の戦いで毛利元就の軍と戦い、毛利氏家臣の神保宗内に討ち取られる。子の隆正が後を継いだ。 参考文献[編集] 『萩藩閥閲録』巻120「柿並嘉門太」 岡部忠夫『萩藩諸家系譜』(マツノ書店、1999年復刻)