柿並隆幸

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柿並隆幸
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 天文23年6月5日1554年7月4日
別名 通称:小平太、四郎三郎
主君 大内義興義隆義長
氏族 多々良姓大内氏庶流柿並氏
父母 父:柿並弘慶
高石興幸隆正
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柿並 隆幸(かきなみ たかゆき)は、戦国時代武将大内氏家臣。父は柿並弘慶

生涯[編集]

大内氏庶流の柿並弘慶の子として生まれる。

大永7年(1527年6月28日に父・弘慶が死去すると、その後を継いで大内義興義隆義長に仕えたが、天文23年(1554年6月5日折敷畑の戦い毛利元就の軍と戦い、毛利氏家臣の神保宗内に討ち取られる。子の隆正が後を継いだ。

参考文献[編集]