森田悌
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人物情報 | |
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生誕 | 1941年4月12日(83歳) 大日本帝国・埼玉県 |
居住 | 日本 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京大学文学部 東京大学法学部 |
子供 | 森田果(商法学者) |
学問 | |
時代 | 昭和時代後期 - |
活動地域 | 日本 |
研究分野 | 日本史(古代史) |
学位 | 文学博士 |
森田 悌(もりた てい、1941年(昭和16年)4月12日[1] - )は、日本の歴史学者。日本古代史専攻。学位は、文学博士。金沢大学教授・群馬大学教授を経て、群馬大学名誉教授。商法学者の森田果の父。
経歴
[編集]1965年(昭和40年)、東京大学文学部国史学科を卒業。1967年(昭和42年)、同法学部公法課程卒業[2]。1971年(昭和46年)金沢大学助教授、教授を経て、1995年(平成7年)群馬大学教育学部教授。
上代から平安朝を研究著述し、『日本後紀』、『続日本後紀』を初めて現代語訳した。
著書
[編集]- 『日本古代官司制度史研究序説』(現代創造社 1967年)
- 『平安初期国家の研究』(現代創造社 1970年 - 1972年)
- 『受領』(教育社歴史新書 1978年7月)
- 『平安時代政治史研究』(吉川弘文館 1978年12月)
- 『王朝政治』(教育社歴史新書 1979年7月/講談社学術文庫 2004年)
- 『王朝国家』(吉川弘文館 1980年11月 (研究史))
- 『解体期律令政治社会史の研究』(国書刊行会 1982年3月)
- 『日本古代の耕地と農民』(第一書房 1986年4月)
- 『日本古代律令法史の研究』(文献出版 1986年9月)
- 『古代の武蔵 稲荷山古墳の時代とその後』(吉川弘文館 1988年5月)
- 『日本古代の政治と地方』(高科書店 1988年6月)
- 『古代国家と万葉集』(新人物往来社 1991年9月)
- 『古代東国と大和政権』(新人物往来社 1992年10月)
- 『長屋王の謎 北宮木簡は語る』(河出書房新社 1994年4月)
- 『日本古代交通社会史考 私家版』(1994年7月)
- 『日本古代の政治と宗教』(雄山閣出版 1997年8月)
- 『邪馬台国とヤマト政権』(東京堂出版 1998年5月 (教養の日本史))
- 『天皇号と須弥山』(高科書店 1999年7月)
- 『日本古代の駅伝と交通』(岩田書院 2000年2月 (古代史研究叢書))
- 『推古朝と聖徳太子』(岩田書院 2005年9月)
- 『王朝政治と在地社会』(吉川弘文館 2005年12月)
- 『天智天皇と大化改新』(同成社 2009年2月)
共編著・校訂
[編集]- 『論争日本古代史』 (山中裕共編 河出書房新社 1991年1月)
- 『天皇の祭り村の祭り』(新人物往来社 1994年4月)
- 『渡来人と仏教信仰 武蔵国寺内廃寺をめぐって』(柳田敏司共編 雄山閣出版 1994年6月)
- 『田の神まつりの歴史と民俗』(金田久璋共著 吉川弘文館 1996年3月)
- 『日本後紀 訳注日本史料』(黒板伸夫共編訳、集英社 2003年)
- 改訂『日本後紀』(講談社学術文庫 上中下 2006年 - 2007年) 全現代語訳
- 『続日本後紀』(講談社学術文庫 上下 2010年) 全現代語訳
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 森田悌の耋老徒然随想 公式ブログ (2018年11月5日 - )