森繁の重役読本

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森繁の重役読本(もりしげの じゅうやくどくほん)は、向田邦子作・森繁久彌朗読によるラジオエッセイ。森繁の冠番組

毎日広告社の制作で、TBSラジオ文化放送キー局に、1962年3月5日から1969年4月19日まで、ネット局や放送時間を変えながら、月〜土の帯番組として、朝7時〜8時台に計2448回放送された[1]

ホテルオークラヤクルト本社明治屋リプトン紅茶)等が単独提供し、テーマソングは行進曲風に編曲した『リリー・マルレーン』。

向田の実質的出世作で、現存する台本の一部が没後に書籍化された。1973年よりTBSラジオで放送される長寿番組小沢昭一の小沢昭一的こころ』の前身に当る[1]

作品解説[編集]

ドラマの内容[編集]

サラリーマンを対象にした番組[2]。5分枠中、「重役さん」なる主人公の中年男性が日常生活上の愚痴を独白したり、部下の「森繁くん」に重役の心得を説くのが基本パターン。

重役さんや森繁くんが登場せず、妻、子供、親、家政婦、出入りの職人、会社の部下や、馴染みのバーのホステスなど、取り巻きの人物が重役の行状について語ったり、これらが複数登場し会話する回もあったが、ナレーションから生録CMに至るまで、全員を森繁が独演した。

重役の人物像[編集]

重役は三男二女の父親[3]であったり、女の子を持たない父親であったりと[4]、プロフィールはその都度異なったが、キャラクターは「もの哀しく、ちょっと面白いお父さんや中年おじさん」[5]で一貫していた。

  • 猛妻の尻に敷かれ子供らに疎んじられる「中年男の悲哀」を基本に、「愚痴を交え、斜に構えた蘊蓄を世事に傾ける」「落ちと言った落ちが無い(その都度テーマを変え、次回に期待を抱かせつつ延々と続く)」路線は、後継番組『小沢昭一の小沢昭一的こころ』にそっくり承継されている[1]

重役のモデルは、向田の父であろうと森繁は想定し[6]、向田の妹の向田和子も「父のことを誇張して書いてあるようなところがある」[7]「茶化されている父本人に悟られまいと、番組開始を家族にも知らせていなかった」[1]と述べているが、何度か番組を聴いた向田の父の反応は「時折自分に似ていると思っても、自分がモデルになっているとは全く思っていなかったようだ」[8]というものであった。

収録過程[編集]

1回当り原稿用紙8枚前後に纏め、週1度収録していた。しかし、当時から遅筆家だった向田は収録直前まで滞り、スタジオ入り前に台本が完成していた例がなく、スタッフと歓談しながら不足分を加筆する事も多々あった[9]。斯くして「ひん曲がった字でタタっと連ねて書いてある」原稿を、局内のガリ版切り職人に手交し、収録に間に合わせた[10]

吹き込みの場で、向田と内容について議論する事も少なくなかったが、「楽しいケンカ」であったと森繁は回想している[10]

向田の家族の反応[編集]

自分が台本を執筆したテレビドラマ『ダイヤル110番』は、事前に父、母、妹に知らせて放送をチェックさせていた[7]向田だったが、森繁曰く、当番組は家族に聴かれることを嫌がっていた[11]

台本を何度か読まされた[7]妹の和子は、開始当初は会社勤めで時間帯が合わず、番組を聴けなかったため、向田に録音を頼んだものの、一度として聞かせて貰った事はなかった[12]。父は偶にカーラジオで聴いていて、帰宅後内容を母に話していた[7]

評価[編集]

6年以上続く長寿番組になった要因は、森繁の絶妙な話術に負う所が大きい[1][13]。また『重役読本』で試行錯誤する間に、向田は後の数々のヒット作の基礎を築き上げたのではないかと、森繁らの衆目は一致している[5][14][15]

初回台本を一読した森繁は「文才の冴えを感じ」「構成力は弱いものの、昔の日常茶飯事を、巧みな比喩を用い、上質のユーモアを交えて再現している」「初期向田文学のエッセンスが詰まっている」とし、特に会話の活写には、スタッフ一同感心した[16]と述べている。

後に、森繁の紹介で向田が弟子入りした市川三郎も、「当時から円熟していた」[17]と評した。作風から年輩者を想像していたが、若い女性で驚いた[17]一方、「『いろごと』の描写は未熟」であると、向田の弱点も見抜いている[18]

制作の背景[編集]

筆1本で生計を立てる前の向田は、雄鶏社に勤務する傍らアルバイトで『ダイヤル110番』の脚本を数本担当し、森繁がパーソナリティを務める『奥さまお手はそのまま』等、ラジオ番組の脚本も分担していた。

後者で森繁に気に入られた事で、座付作家として『重役読本』の企画が持ち上がり、本作に専念するため雄鶏社を退社。当番組の評判により、テレビドラマ『七人の孫』や、他のラジオ番組からも声が掛るようになった。

向田が半年間師事し「私の先生」と公言した市川の影響も大きい。数々の長寿番組を手掛けた市川は、森繁主演の『ラジオ喫煙室』(NHKラジオ第1)[19]も担当していたが、森繁は向田を『ラジオ喫煙室』でも使ってくれるよう市川に推薦し、指導を依頼した[17]

向田は週2回ほど市川の自宅に出向き、脚本の基本を学んだが、「日常の話し言葉をそのまま文字に移す訓練」を「負けず嫌いと凝り性と勘の良さ」で会得し、「助詞を省き短くリズミカルな」会話描写を、脚本のみならず小説にも生かすようになった[17]

その後[編集]

向田の「得がたい才能」を高く評価した森繁は、自らの主演作『社長シリーズ』を始め、幾つかの映画にも推薦したため、向田はこれらの脚本も試作したが[20]、向田の「都会的・知的」[11]な社長像が、「終始ドジを踏み続ける社長」が登場し「毎回同じような展開」を望む制作者側の企画意図に沿えず、没になった[20]

現存する記録[編集]

番組の音源はTBSに9本[1]、台本は205冊現存する。後者は向田の母校実践女子大学図書館の向田邦子文庫が所蔵し、学外者も閲覧可能(要手続)。

「小さなトラックいっぱいぐらいあった」[21]台本を、収納場所を理由に、向田は麻布霞町のアパートから南青山のマンションへ引越した際に総て処分したが、自宅の書棚に一部を架蔵していた森繁から寄贈された。

書籍化[編集]

放送当時、森繁は書籍化を何度も勧めたが、向田は積極的ではなく、生前に出版されることはなかった[22]。向田の没後数年を経て、台本の傑作選を再編集した単行本『森繁の重役読本』と『六つのひきだし』がネスコから上梓され、後に文春文庫で文庫化された。

なお、『森繁の重役読本』には「あ・重役(あ・うん)」「重役トランプ(思い出トランプ)」「重役貫太郎一家(寺内貫太郎一家)」「妻どき女どき(男どき女どき)」「重役の詫び状(父の詫び状)」「重役仮名人名簿(無名仮名人名簿)」「霊長類重役科動物図鑑(霊長類ヒト科動物図鑑)」と、向田の代表作を捩った章題が付されている。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 森繁久弥追悼特別番組『森繁の重役読本』座談会 2009年12月25日 TBSラジオ
  2. ^ 『向田邦子を旅する。』94頁
  3. ^ 『森繁の重役読本』74頁
  4. ^ 『森繁の重役読本』124頁
  5. ^ a b 『向田邦子熱』215頁
  6. ^ 『森繁の重役読本』233頁
  7. ^ a b c d 『向田邦子の青春』157頁
  8. ^ 『向田邦子の青春』158頁
  9. ^ 『六つのひきだし』194頁
  10. ^ a b 『森繁の重役読本』頁231
  11. ^ a b 『森繁の重役読本』235頁
  12. ^ 『向田邦子の青春』157頁
  13. ^ 『メルヘン誕生』( 高島俊男)149頁
  14. ^ 『森繁の重役読本』232頁
  15. ^ 『向田邦子を旅する。』95頁
  16. ^ 『森繁の重役読本』233頁
  17. ^ a b c d 『向田邦子を旅する。』102頁
  18. ^ 『向田邦子を旅する。』103頁
  19. ^ 日本初のディスクジョッキー番組と目される
  20. ^ a b 『森繁の重役読本』234頁
  21. ^ 『向田邦子全対談』49頁
  22. ^ 『森繁の重役読本』236頁

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]