楊再思

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楊 再思(よう さいし、? - 709年)は、中国の代の政治家。本貫鄭州原武県(現在の河南省原陽県の西南)。明経に及第し、694年武則天の下で鸞台侍郎・同鳳閣鸞台平章事に上り、左粛政御史大夫を兼ねた。中宗重祚すると、戸部尚書・同中書門下三品・京師留守に任ぜられ、弘農郡公に封ぜられた。のちに鄭国公に進んだ。死後、特進・并州大都督の位を追贈され、乾陵に陪葬された。を恭といった。


楊 再思(よう さいし、860年 - 954年)は、中国の末からの五代にかけての飛山蛮の首長。本貫叙州(現在の湖南省洪江市の西南)。楊居本の子。912年、叙州を誠州と改め、10人の子を分封して、十峒蛮酋と称した。