楠目橙黄子 ウィキペディアから無料の百科事典 楠目橙黄子(くすめ とうこうし、1889年(明治22年)5月4日 - 1940年(昭和15年)5月8日)は俳人。 高知県高知市生まれ。本名は省介。 間組に勤め、1936年朝鮮支店長。 1909年ごろより句作。「ホトトギス」に投句。句集に『橙圃』(とうほ)。 高浜虚子の朝鮮旅行、熊野旅行に同道した。 「京城日報」俳壇の選者も務めた。墓所は多磨霊園(15-1-6-1) 代表句「焚火人面罵に耐えてゐたりけり」。 参考文献[編集] 現代俳句大事典、三省堂 典拠管理データベース 全般 ISNI VIAF WorldCat 国立図書館 ドイツ 日本 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。表示編集