榎本勝起
ウィキペディアから無料の百科事典
えのもと かつおき 榎本 勝起 | |
---|---|
プロフィール | |
愛称 | 榎さん |
出身地 | 日本・東京都町田市 |
生年月日 | 1929年10月26日 |
没年月日 | 2021年11月22日(92歳没) |
血液型 | A型 |
最終学歴 | 駒澤大学文学部英米文学科 |
職歴 | 元TBSアナウンサー |
活動期間 | 1954年4月 - 2021年 |
ジャンル | 報道番組・ワイド番組 |
出演番組・活動 | |
出演経歴 | 榎さんのお昼だよ〜! 三菱ふそう全国縦断・榎さんのおはようさん〜! 榎さんのおはようサンデー |
榎本 勝起(えのもと かつおき、1929年〈昭和4年〉10月26日 - 2021年〈令和3年〉11月22日)は、日本のアナウンサー、放送ジャーナリスト[1]。TBSアナウンサー第3期生。東京都町田市出身・在住。愛称は「榎さん(えのさん)」。
来歴・人物
[編集]東京都立玉泉中学校(現在の東京都立西高等学校)3期[2]→駒澤大学文学部英米文学科卒業[3]。1952年11月23日にTBSの前身であるラジオ東京に入社[注釈 1]、編成局考査部、制作一課、調査部を経て[4][5]1954年4月にアナウンサーとなる(第3期生)[6][7]。以後、ラジオ局制作現業部兼テレビ編成局アナウンス部(1966年1月)、ラジオ局第一制作部兼アナウンサー研修室付(1967年11月)、ラジオ局第一制作部(1968年9月)、テレビ制作局第二制作部兼テレビ編成局放送部(1969年3月)、ラジオ本部アナウンス室(1971年3月)に配属される[5]。1984年10月にTBSを定年退職[4][5]。TBSを定年退社後も、引き続きTBSラジオでパーソナリティとして活躍。1972年4月10日開始の『榎さんのお昼だよ〜!』をはじめ2002年10月6日終了の『榎さんのおはようサンデー』まで「榎さん」を冠したラジオワイド番組を30年半・7025回に渡り担当。1976年、『榎さんのお昼だよ〜!』において、第2回アノンシスト賞ラジオ番組部門最優秀賞を受賞[5]。
1963年11月、ジョン・F・ケネディ暗殺の際、テレビの宇宙中継における第一報をアドリブで45分間担当して話題となり、「アドリブの榎さん」と呼ばれる。コンコルド機搭乗取材、ケネディ宇宙センター取材放送、アメリカ建国200年記念特別番組ワシントン他各地からの生中継、1985年の国際科学技術博覧会の開会式の総合司会、日本航空123便墜落事故、昭和天皇崩御等の特別番組も担当。
放送ジャーナリストとしては各地での講演活動等も行っており、卓越した話芸、豊富な話題で、場内を爆笑と感動の渦に巻き込む「講演の名手」と評されていた。
2021年11月22日、急性呼吸窮迫症候群のため死去[8]。92歳没。
出演番組
[編集]ラジオ
[編集]- 季節の志おり(1963年、TBSラジオ)[5]
- 芸能レポート(1966年、TBSラジオ)[5]
- レッツ・ゴー・レジャー(1971年、TBSラジオ)インフォメーション・キャスター[4][5]
- 榎さんのお昼だよ〜!(TBSラジオ 1972年4月10日 - 1978年9月29日) - 1700回担当。[5]
- 三菱ふそう全国縦断・榎さんのおはようさん〜!(TBSラジオ 1978年10月2日 - 1998年4月3日)[4][5]
- 釣りと私(1979年、TBSラジオ)[5]
- 起き抜け一番!榎さんのニュース&ミュージック(TBSラジオ 1990年4月9日 - 1998年4月3日)
- 榎さんのおはようサンデー(TBSラジオ 1998年4月12日 - 2002年10月6日)
- 遊学舎でいこう!(TBSラジオ)
- 大沢悠里のゆうゆうワイド(TBSラジオ) 30年目感謝の夏物語![1] - 2015.8.27(第7648回放送) 記念ゲストとして電話出演
- 榎さんの昼からおはようさん〜(HBCラジオ、1988年3月1日にHBCラジオまつりで行われた公開録音。)[9]
- WE LOVE HOKKAIDO(HBCラジオの開局40周年記念として、1991年11月22日8:00 - 24日0:00に40時間生放送されたワイド番組)[10]
テレビ
[編集]- スリーSタイム(1960年、TBSテレビ)[4]
- 圭三訪問(TBSテレビ)[4]
- 日本のひろば(TBSテレビ)[4]
- まんがどうして物語(1984年、TBSテレビ)ナレーター
- 榎さんのすももくらぶ(テレビ東京)[11]
音楽
[編集]シングル
[編集]- 夢追い東京(1984年)
映画
[編集]ビブリオグラフィ
[編集]著書
[編集]- あの榎さんの魅力人生爽快学 : 損な性分のあなたに贈る100話(1986年)
- 榎さんの魅力の女性讃歌(1988年、時事通信社)
- 男の器量女の器量:榎さんの魅力人生爽快学(1991年、大和出版)
- 女と男はあわせ鏡―榎さんの魅力人間学(1992年、大和出版)
- 榎さんの人生・現品限り(1993年、北海道アートサプライ)
- 「女性の魅力」こんないい話(1995年、三笠書房〈知的生きかた文庫〉)
- TBS榎さんの心のうた:遠い日のメッセージ(1997年、講談社)
- 女の器量は男しだい:「色香」を失わず、人生を謳歌しよう(2000年、大和出版)
- 男の器量は女しだい:一流と三流、どこでその差がつくのか(2000年、大和出版)
編著
[編集]- 平成とっておき人生川柳 : 心をノックする魂のつぶやき(1994年、大和出版)
- 平成・人生川柳 : 心をノックする女のひとりごと・男のかたこと お待ちかね第2集(1995年、大和出版)
- 榎さんの平成人生川柳 : 心をノックする男の詩・女の詩 のどから手が出る第3集(1996年、大和出版)
関連項目
[編集]出典
[編集]- ^ “「遊学館」生涯学習センター【学習素材ライブラリ/仙人講座/第9期 仙人講座(平成11年度)/第2回講座 健康仙人】”. 山形県生涯学習文化財団. 公益財団法人 山形県生涯学習文化財団. 2015年6月21日閲覧。
- ^ 参考:第12回に西高の夕べ(2005年)(東京都立西高等学校同窓会サイト内)
- ^ 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年、90頁。「出身校 駒澤大学文学部英米文学科」と記述。
- ^ a b c d e f g h 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、236頁。「榎本勝起<1952.11.1 編成局考査部等を経てアナウンサー> [1984.10定年] R「レッツ・ゴー・レジャー(1971)」「榎さんのおはようさん(1978)」 TV「スリーSタイム(1960)」「圭三訪問」「日本のひろば」」
- ^ a b c d e f g h i j k 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、7頁。「榎本 勝起<1952.11.1 編成局考査部〜制作一課〜調査部を経てアナウンサー> [66.1R局制作現業部兼TV編成局アナウンス部][67.11R局第一制作部兼アナウンサー研修室付][68.9 R局第一制作部][69.3TV制作局第二制作部兼TV編成局放送部][71.3R本部アナウンス室][84.10 定年] R「季節の志おり(63)」「芸能レポート(66)」「レッツ・ゴー・レジャー(71)<インフォメーション・キャスター>」「榎さんのお昼だよ〜(72),(1700 回担当)」「榎さんのおはようさん(78)」 ★「榎さんのお昼だよ」<1976 第二回アノンシスト賞 ラジオ番組部門最優秀賞受賞> TV「スリーSタイム(60)」「圭三訪問」「日本のひろば」「まんがどうして物語(84)」 ☆ 63.11「ケネディ暗殺」第一報スタジオ担当。」
- ^ 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、236頁。「1954.4<3期生> 5人入社(男3・女2) 榎本勝起<1952.11.1 編成局考査部等を経てアナウンサー> 小竹隆夫 山林正明 甘利和子 綱 徳子」
- ^ 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、7頁。「54.4 <3期生>5人入社(男3・女2) 榎本 勝起…<1952.11.1 編成局考査部〜制作一課〜調査部を経てアナウンサー> 小竹 隆夫 山林 正明 甘利 和子 綱 徳子」
- ^ “元ラジオアナウンサーの榎本勝起さん死去…ケネディ氏暗殺時に原稿なしで45分間つなぐ”. 読売新聞社. (2021年12月1日) 2021年12月1日閲覧。
- ^ 「藤丸デパート~"ラジオまつり"連動の拡販イベント(北海道放送)」『企業と広告』第14巻第5号、チャネル、1988年5月1日、34 - 35頁。NDLJP:2853062/20
- ^ 北海道放送四十年(北海道放送社史編纂委員会 編、1992年10月刊)252頁。
- ^ 榎本勝起 - オリコンTV出演情報
注釈
[編集]参考文献
[編集]- 『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年。
- 東京放送 編『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月。