榎本勝起

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えのもと かつおき
榎本 勝起
プロフィール
愛称 榎さん
出身地 日本の旗 日本東京都町田市
生年月日 (1929-10-26) 1929年10月26日
没年月日 (2021-11-22) 2021年11月22日(92歳没)
血液型 A型
最終学歴 駒澤大学文学部英米文学科
職歴TBSアナウンサー
活動期間 1954年4月 - 2021年
ジャンル 報道番組ワイド番組
出演番組・活動
出演経歴 榎さんのお昼だよ〜!
三菱ふそう全国縦断・榎さんのおはようさん〜!
榎さんのおはようサンデー

榎本 勝起(えのもと かつおき、1929年昭和4年〉10月26日 - 2021年令和3年〉11月22日)は、日本のアナウンサー、放送ジャーナリスト[1]。TBSアナウンサー第3期生。東京都町田市出身・在住。愛称は「榎さん(えのさん)」。

来歴・人物

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東京都立玉泉中学校(現在の東京都立西高等学校)3期[2]駒澤大学文学部英米文学科卒業[3]1952年11月23日にTBSの前身であるラジオ東京に入社[注釈 1]、編成局考査部、制作一課、調査部を経て[4][5]1954年4月にアナウンサーとなる(第3期生)[6][7]。以後、ラジオ局制作現業部兼テレビ編成局アナウンス部(1966年1月)、ラジオ局第一制作部兼アナウンサー研修室付(1967年11月)、ラジオ局第一制作部(1968年9月)、テレビ制作局第二制作部兼テレビ編成局放送部(1969年3月)、ラジオ本部アナウンス室(1971年3月)に配属される[5]1984年10月にTBSを定年退職[4][5]。TBSを定年退社後も、引き続きTBSラジオでパーソナリティとして活躍。1972年4月10日開始の『榎さんのお昼だよ〜!』をはじめ2002年10月6日終了の『榎さんのおはようサンデー』まで「榎さん」を冠したラジオワイド番組を30年半・7025回に渡り担当。1976年、『榎さんのお昼だよ〜!』において、第2回アノンシスト賞ラジオ番組部門最優秀賞を受賞[5]

1963年11月ジョン・F・ケネディ暗殺の際、テレビの宇宙中継における第一報をアドリブで45分間担当して話題となり、「アドリブの榎さん」と呼ばれる。コンコルド機搭乗取材、ケネディ宇宙センター取材放送、アメリカ建国200年記念特別番組ワシントン他各地からの生中継、1985年国際科学技術博覧会の開会式の総合司会、日本航空123便墜落事故昭和天皇崩御等の特別番組も担当。

放送ジャーナリストとしては各地での講演活動等も行っており、卓越した話芸、豊富な話題で、場内を爆笑と感動の渦に巻き込む「講演の名手」と評されていた。

2021年11月22日、急性呼吸窮迫症候群のため死去[8]。92歳没。

出演番組

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ラジオ

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テレビ

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音楽

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シングル

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映画

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ビブリオグラフィ

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著書

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  • あの榎さんの魅力人生爽快学 : 損な性分のあなたに贈る100話(1986年
  • 榎さんの魅力の女性讃歌(1988年、時事通信社)
  • 男の器量女の器量:榎さんの魅力人生爽快学(1991年、大和出版)
  • 女と男はあわせ鏡―榎さんの魅力人間学(1992年、大和出版)
  • 榎さんの人生・現品限り(1993年、北海道アートサプライ)
  • 「女性の魅力」こんないい話(1995年、三笠書房〈知的生きかた文庫〉)
  • TBS榎さんの心のうた:遠い日のメッセージ(1997年、講談社)
  • 女の器量は男しだい:「色香」を失わず、人生を謳歌しよう(2000年、大和出版)
  • 男の器量は女しだい:一流と三流、どこでその差がつくのか(2000年、大和出版)

編著

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  • 平成とっておき人生川柳 : 心をノックする魂のつぶやき(1994年、大和出版)
  • 平成・人生川柳 : 心をノックする女のひとりごと・男のかたこと お待ちかね第2集(1995年、大和出版)
  • 榎さんの平成人生川柳 : 心をノックする男の詩・女の詩 のどから手が出る第3集(1996年、大和出版)

関連項目

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出典

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  1. ^ 「遊学館」生涯学習センター【学習素材ライブラリ/仙人講座/第9期 仙人講座(平成11年度)/第2回講座 健康仙人】”. 山形県生涯学習文化財団. 公益財団法人 山形県生涯学習文化財団. 2015年6月21日閲覧。
  2. ^ 参考:第12回に西高の夕べ(2005年)(東京都立西高等学校同窓会サイト内)
  3. ^ 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年、90頁。「出身校 駒澤大学文学部英米文学科」 と記述。
  4. ^ a b c d e f g h 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、236頁。「榎本勝起<1952.11.1 編成局考査部等を経てアナウンサー> [1984.10定年] R「レッツ・ゴー・レジャー(1971)」「榎さんのおはようさん(1978)」 TV「スリーSタイム(1960)」「圭三訪問」「日本のひろば」」 
  5. ^ a b c d e f g h i j k 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、7頁。「榎本 勝起<1952.11.1 編成局考査部〜制作一課〜調査部を経てアナウンサー> [66.1R局制作現業部兼TV編成局アナウンス部][67.11R局第一制作部兼アナウンサー研修室付][68.9 R局第一制作部][69.3TV制作局第二制作部兼TV編成局放送部][71.3R本部アナウンス室][84.10 定年] R「季節の志おり(63)」「芸能レポート(66)」「レッツ・ゴー・レジャー(71)<インフォメーション・キャスター>」「榎さんのお昼だよ〜(72),(1700 回担当)」「榎さんのおはようさん(78)」 ★「榎さんのお昼だよ」<1976 第二回アノンシスト賞 ラジオ番組部門最優秀賞受賞> TV「スリーSタイム(60)」「圭三訪問」「日本のひろば」「まんがどうして物語(84)」 ☆ 63.11「ケネディ暗殺」第一報スタジオ担当。」 
  6. ^ 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、236頁。「1954.4<3期生> 5人入社(男3・女2) 榎本勝起<1952.11.1 編成局考査部等を経てアナウンサー> 小竹隆夫 山林正明 甘利和子 綱 徳子」 
  7. ^ 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、7頁。「54.4 <3期生>5人入社(男3・女2) 榎本 勝起…<1952.11.1 編成局考査部〜制作一課〜調査部を経てアナウンサー> 小竹 隆夫 山林 正明 甘利 和子 綱 徳子」 
  8. ^ “元ラジオアナウンサーの榎本勝起さん死去…ケネディ氏暗殺時に原稿なしで45分間つなぐ”. 読売新聞社. (2021年12月1日). https://www.yomiuri.co.jp/culture/20211201-OYT1T50218/ 2021年12月1日閲覧。 
  9. ^ 「藤丸デパート~"ラジオまつり"連動の拡販イベント(北海道放送)」『企業と広告』第14巻第5号、チャネル、1988年5月1日、34 - 35頁。 NDLJP:2853062/20
  10. ^ 北海道放送四十年(北海道放送社史編纂委員会 編、1992年10月刊)252頁。
  11. ^ 榎本勝起 - オリコンTV出演情報

注釈

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  1. ^ 『TBS50年史』では入社年月日を1952年11月1日としている[4][5]

参考文献

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  • 『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年。 
  • 東京放送 編『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月。 

外部リンク

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