横山富次郎
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横山 富次郎(よこやま とみじろう、1863年(文久3年2月) - 1936年(昭和11年)3月21日)は日本の政治家、実業家。衆議院議員(政友会)。
略歴
[編集]1863年(文久3年2月)、江戸日本橋に呉服木綿問屋横山五兵衛の第三子として生まれる。中江篤介の仏学塾などで学んだ後、1888年(明治21年)に東京仏学校(現・法政大学)を卒業する。家業に従事しながら、1897年(明治30年)に貿易会社大和商会を興し、経営する。
1891年(明治24年)に日本橋区会議員、1892年(明治25年)に東京府会議員、1893年(明治26年)に東京市会議員、1898年(明治31年)に第6回衆議院議員総選挙(東京府第4区)に当選する。また、1894年(明治27年)に東京市区改正委員、1897年(明治30年)に東京府会の常置委員を務める。
1900年(明治33年)3月に起きた東京市参事会員の収賄事件により収賄罪に問われ、1902年(明治35年)に判決が確定する。判決を受けて、1902年(明治35年)5月に利光鶴松とともに衆議院議員資格が消滅する[1][2][3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『衆議院議員列伝』衆議院議員列伝発行所、1901年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。