橘遠茂 ウィキペディアから無料の百科事典 橘 遠茂 (たちばな の とおもち、生年不詳-1180年[1]。)は、平安時代後期の武士[2]。子に橘為茂。 経歴[編集] 橘遠忠の子[要出典]。駿河国の目代 [3]。治承4年(1180年)8月、駿河国波志田山にて安田義定等の軍に敗れ(波志田山合戦)、同年10月、駿河に進行した武田信義に敗れ、遠茂の子2名と長田入道(長田忠致か)が討ち取られ、遠茂は捕らえられた(鉢田の戦い)。 系譜[編集] 父:橘遠忠 母:不詳 妻:不詳 男子:橘為茂 脚注[編集] ^ 近藤活版所 1903, p. 566. ^ 吉見書店 1912, p. 245. ^ 橘遠茂. コトバンクより2022年1月17日閲覧。 参考文献[編集] 『駿国雑志』(1911年、吉見書店) 外部リンク[編集] この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集