正兼菊太
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正兼菊太(まさかね きくた、1902年頃 - 没年不明)は、ソ連及び中国で活動した日本のスパイとされる。正兼菊太は二等機関士出身であり、1929年に樺太からソ連へ入り、軍需工場に所属して反日・赤化工作を行っていたが、各種資料をウラジオストクの領事館の書記生に提供していたことがゲーペーウーに見つかり、スパイ容疑で1934年に10年間の強制労働の刑を言い渡されたとされる[1]。
また、ソ連滞在中に、ウクライナに行き、ホロドモールを目撃したと語っている[2]。
1944年には、北京において未來和平宗教會(旧京師普濟佛教會)所属の彌勒會總會の顧問を務めたとされる[3]。
著書
[編集]- ロシヤ潜行六ケ年 (1936年)
- 防諜の生態 (1944年)
出典
[編集]- ^ 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B02030943700、共産党宣伝関係雑件/対日宣伝関係 第八巻(A-3-4-009)(外務省外交史料館)」 1.一般/8 昭和9年10月3日から昭和9年11月30日
- ^ 岡部芳彦「日本人の目から見たホロドモール」『Kobe Gakuin University Working Paper Series』No.28、2020年 。
- ^ 破壞、高壓與反抗──淪陷時期北京文化界面面觀 中國共產黨新聞網