武藤 文吾(むとう ぶんご、1865年10月14日(慶応元年8月25日[1])- 1938年(昭和13年)[1])は、大正・昭和期の日本の地方政治家。第3代八王子市長を務めた。
1865年、武藤光純の息子として生まれる。1898年に分家する。
明治期に政界入り、西多摩郡長を経て、死去した平林定兵衛の後を受けて1925年5月26日に八王子市長に就任した[2]。1期務め、1929年に退任[2]。
1938年に73歳で死去した。
- ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、147頁。
- ^ a b 八王子の歩み (PDF) - 八王子市(『統計八王子(令和2年〔2020年〕版)』参考資料、2021年12月2日閲覧。
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官選 | - 柴田榮吉1917.12.14-1921.12.13
- 平林定兵衛1922.2.16-1925.2.25
- 武藤文吾1925.5.26-1929.5.25
- 秋山文太郎1929.7.8-1929.11.4
- 城所國三郎1929.12.11-1933.12.10
- 杢代龍喜1934.1.16-1938.1.15
- 関谷源兵衛1938.1.22-1942.9.1
- 深沢友彦1942.9.1-1945.9.12
- 小林吉之助1945.10.29-1947.4.4
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公選 | - 小林吉之助1947.4.5-1957.2.6
- 野口義造1957.2.25-1961.2.23
- 植竹圓次1961.2.24-1973.2.23
- 後藤聰一1973.2.24-1983.12.26
- 波多野重雄1984.1.30-2000.1.28
- 黒須隆一2000.1.29-2012.1.28
- 石森孝志2012.1.29-2024.1.28
- 初宿和夫2024.1.29-現在
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