段崇 ウィキペディアから無料の百科事典 段 崇(だん すう、生没年不詳)は、五胡十六国時代の人物。 生涯[編集] 362年7月、東晋の援軍により、寧南将軍呂護は退却して小平津を守った。呂護は流れ矢に当たって亡くなり、段崇は軍をまとめて、北の野王へ移動して屯した。 尚書に任じられた。 384年1月、慕容垂は燕王に即位、文武諸官の編成を行い、右長史に任じられた。 左光禄大夫に任じられた。 396年5月、太保に任じられた。 これ以後の事績は、史書に記されていない。 参考文献[編集] 『晋書』巻111、巻123、巻124 『資治通鑑』巻101、巻105 『十六国春秋』巻44、巻45