段文昌

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段 文昌(だん ぶんしょう、772年 - 835年)は、中国宰相である。は墨卿。荊州江陵県の出身。本貫斉州鄒平県。高祖父は段志玄。曾祖父は段弘瓘。祖父は段懐晈。父は段諤。子に『酉陽雑俎』の撰者である段成式がいる。

生涯[編集]

貞元17年(801年)、剣南西川節度使韋皋校書郎になった。李吉甫の知るところとなり、また、李逢吉とも交遊があった。次第に官を累進して、翰林学士より祠部郎中に進んだ。

元和15年(820年)、中書侍郎・同中書門下平章事(宰相)になった。

長慶元年(821年)、剣南西川節度使になった。剣南西川の幕府では善政を敷き、諸蛮を支配下に置いた。翌年、雲南が唐朝の領内に侵攻した際も、使者を派遣して慰撫するのみで退けた。

以後、諸官を歴任し、大和6年(832年)、再度、剣南西川節度使になった。大和9年(835年)に死去した。没後に太尉を追贈された。文集30巻が存したとされるが、現在伝わっていない。

伝記資料[編集]