永本裕章

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永本 裕章
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県福山市
生年月日 (1952-11-05) 1952年11月5日(71歳)
身長
体重
178 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1970年 ドラフト2位
初出場 1972年10月5日
最終出場 1984年9月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

永本 裕章(ながもと ひろあき、1952年11月5日 - )は、広島県福山市出身の元プロ野球選手投手)。南海ホークスに所属した永本勲二は実兄。

来歴・人物[編集]

盈進高では、1969年秋季県大会準決勝に進むが、エース佐伯和司を擁する広陵高に敗退。翌1970年夏も県大会で敗れ甲子園には出場できなかった。

同年ドラフト2位で広島東洋カープに入団、ドラフト1位の佐伯とともに本格派右腕として期待される。

1974年は7月末から先発陣の一角として抜擢されるが、7連敗と実績を残せなかった。

1975年は5月4日の阪神タイガース戦(広島市民球場)で救援登板しプロ初勝利。6月19日のヤクルトスワローズ戦(神宮)では7回途中を1失点に抑えて初の先発勝利、連敗を5で止める好投を見せた[1][2]。しかし最終的にはこの2勝のみに終わる。

同年の10月19日、中日ドラゴンズとの最終戦で、プロ野球公式戦史上初の「満塁での敬遠」を行ったことで知られる[3]。広島の山本浩二と中日の井上弘昭がセントラル・リーグの首位打者のタイトルを競い、山本の打率が少し上回っているさなか、満塁の場面で代打として登場した井上に対し、広島ベンチはマウンドの永本に敬遠を指示した(四球で進塁した場合、打者の打率は上昇しない)。山本は最終的に井上と9毛差で首位打者になった。

1976年からは中継ぎに専念するが、同年オフに正垣宏倫との交換トレードで川畑和人と共に阪急に移籍。

1979年には中継ぎ、抑えとして2勝3セーブを記録。同年オフに柳田真宏笠間雄二との交換トレードで読売ジャイアンツに移籍も、登板はわずか14試合のみとあまり活躍の場はなく、翌年柳田との再トレードで阪急に出戻る。

1982年からアンダースローに転向。開幕直後からエース級の働きを見せ、8月1日からは6連勝も記録、同年は山田久志に次ぐ15勝を挙げる。

1983年も7勝を記録する。

1985年限りで現役引退した。現在は都内で会社員。球種はスライダー、カーブ、チェンジアップ、シュート。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1972 広島 2 1 0 0 0 0 0 -- -- ---- 27 6.1 7 2 1 0 0 1 0 0 4 4 6.00 1.26
1973 18 2 0 0 0 0 2 -- -- .000 132 34.1 26 1 7 1 0 11 1 0 16 14 3.71 0.96
1974 26 9 1 0 0 0 7 0 -- .000 301 74.2 64 1 26 3 1 43 1 0 25 24 2.88 1.21
1975 28 8 0 0 0 2 2 0 -- .500 265 64.1 65 9 21 3 1 26 2 1 31 28 3.94 1.34
1976 16 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 86 17.0 31 5 8 0 1 13 0 0 23 20 10.59 2.29
1977 阪急 8 3 0 0 0 0 0 0 -- ---- 157 31.1 40 2 22 1 1 6 2 0 28 24 6.97 1.98
1979 25 1 0 0 0 2 0 3 -- 1.000 312 73.2 78 3 22 1 3 37 1 0 26 21 2.55 1.36
1980 巨人 14 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 117 25.1 35 2 8 2 1 14 1 0 15 11 3.96 1.70
1981 阪急 8 1 0 0 0 0 2 0 -- .000 91 21.0 22 5 11 0 1 15 0 0 17 17 7.29 1.57
1982 31 27 8 3 3 15 4 0 -- .789 781 185.2 165 21 61 2 12 94 0 0 77 69 3.34 1.22
1983 27 23 6 0 1 7 9 0 -- .438 597 135.2 144 27 52 2 8 56 0 1 81 73 4.84 1.44
1984 14 7 0 0 0 1 3 0 -- .250 212 46.1 52 8 22 1 3 17 0 1 30 28 5.44 1.60
通算:12年 217 82 15 3 4 27 29 3 -- .482 3078 715.2 729 86 261 16 32 333 8 3 373 333 4.19 1.38
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録[編集]

  • 初登板:1972年10月5日、対読売ジャイアンツ23回戦(広島市民球場)、9回表に5番手で救援登板、2回無失点
  • 初奪三振:同上、10回表に王貞治から
  • 初先発:1972年10月8日、対ヤクルトアトムズ25回戦(広島市民球場)、4回1/3を4失点
  • 初完投:1974年10月4日、対ヤクルトスワローズ25回戦(広島市民球場)、9回2失点で敗戦投手
  • 初勝利:1975年5月4日、対阪神タイガース4回戦(広島市民球場)、6回表に2番手で救援登板、1回無失点
  • 初先発勝利:1975年6月19日、対ヤクルトスワローズ12回戦(明治神宮野球場)、6回1/3を1失点(自責点0)
  • 初セーブ:1979年5月26日、対ロッテオリオンズ前期4回戦(松江市営野球場)、7回表1死に2番手で救援登板・完了、2回2/3を無失点
  • 初完投勝利・初完封勝利:1982年4月22日、対南海ホークス前期4回戦(大阪スタヂアム
その他の記録
  • 初登板から白星なしの連敗:10 ※史上5人目

背番号[編集]

  • 26 (1971年 - 1976年)
  • 13 (1977年 - 1979年)
  • 19 (1980年 - 1985年)

脚注[編集]

  1. ^ “カープ今日は何の日”. 中国新聞. (2021年6月19日). https://www.chugoku-np.co.jp/carp/article/article.php?comment_id=765046&comment_sub_id=0&category_id=124 
  2. ^ 当時の監督であった古葉竹識が、初優勝を回顧した際に、この勝利を「10の値打ちがある1勝」と評したという。
  3. ^ 日本シリーズでは、1950年毎日オリオンズ若林忠志が4点リードながら満塁で当日2ホームランを打っていた松竹ロビンス岩本義行を迎えた際に、同点ホームランを警戒して満塁でも敬遠した例がある。故意四球#事例を参照。

関連項目[編集]