渡辺惣蔵
ウィキペディアから無料の百科事典
渡辺惣蔵 わたなべ そうぞう | |
---|---|
生年月日 | 1907年1月15日 |
出生地 | 日本 北海道札幌郡札幌村 (現・北海道札幌市東区) |
没年月日 | 1985年1月25日(78歳没) |
出身校 | 日本大学専門部政治科卒業 |
前職 | 全国映画劇場従業員組合書記長 |
所属政党 | (全国大衆党→) (労農大衆党→) (社会大衆党→) (左派社会党→) 日本社会党 |
選挙区 | 旧北海道4区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1952年10月1日 - 1953年3月14日 1955年2月27日 - 1958年4月25日 1960年11月20日 - 1963年10月23日 1967年1月29日 - 1969年12月2日 1972年12月10日 - 1976年12月9日 |
渡辺 惣蔵(惣藏、わたなべ そうぞう、1907年(明治40年)1月15日[1] - 1985年(昭和60年)1月25日[2])は、日本の社会運動家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]北海道札幌郡札幌村大字苗穂村(現:札幌市東区苗穂町[1])で生まれる。小学校卒業後、農業をしながら通信教育で学び、1929年、日本大学専門部政治科を卒業[1][2]。
日大在学中から無産政党運動に加わる[1]。1932年、武蔵野館争議など多くの映画争議を指導した[1]。全国大衆党中央委員、労農大衆党中央委員、社会大衆党中央委員、同中央青年隊長、全国労働組合同盟中央委員・出版部長、全国映画劇場従業員組合書記長、豊島区会議員などを歴任[1][2]。1938年、人民戦線事件で検挙され一年半にわたり拘留された[1]。
戦後、日本社会党に加わり、同北海道支部連合会書記長、同政策審議会長、同執行委員長などを務めた[1][2]。1952年10月、第25回衆議院議員総選挙に北海道第四区から出馬して当選[2]。第27回、第29回、第31回、第33回総選挙でも当選し、衆議院議員を通算五期務めた[2]。
その他、社団法人国民食協会常務理事、日刊工業新聞社会企画部長、北海道開発審議会委員、国土総合開発審議会委員、衆議院参事(副議長秘書)、同公害対策並びに環境保全特別委員長、日本社会党中央執行委員、同総務局総務部長、同国会対策副委員長、同本部統制委員、同代議士会副会長、同私学振興対策特別副委員長、同石炭対策闘争本部副委員長、日本大学嘱託、道央政治経済研究所長などを務めた[2]。
1976年に政界を引退し、東京で自由民権運動の研究を行った[1]。
著作
[編集]- 『無産階級と現代教育 : 現代教育機構の解剖』大衆教育協会、1930年。
- 『天皇制と民主政治』〈文化叢書 ; 第1輯〉日本文化興社、1946年。
- 『北海道社会運動史 [第1]』白都書房、1949年。
- 『北海道社会運動史』レポート社、1966年。
- 『北海道開発のために : 私はかく闘った』渡辺惣蔵、1957年。
- 『わが道・わがたたかい : 現代に生きる日本社会運動の証言』北海道評論社、1972年。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『市民・社会運動人名事典』日外アソシエーツ、1990年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。