湖城以正

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湖城 以正(こぐすく いせい、1832年 - 1891年)は、主に琉球王国時代に活躍した、湖城流の唐手(現・空手)家である。通称は、湖城小(グヮー)。

経歴[編集]

湖城以正は、1832年(天保3年)、那覇の久米村に生まれた。蔡氏湖城家は代々唐手の大家を出す久米村の名門士族である。湖城家によれば、湖城以正は16歳の時、父・蔡昌偉とともに中国へ渡り、儒学の他、中国兵法も習得したとされる。以正は、とりわけ中国槍術、弓術を得意としたとされる。

中国武術は、イワァー(北京王宮の武官とも、冊封使付き侍従武官とも伝わる)に師事し、イワァーが城中勤務に忙殺されていたので、師に代わって師範代を務めたため帰国が遅れ、36歳の時帰国したという。湖城以正は、1891年(明治24年)、59歳で亡くなった。

関連項目[編集]