烏森 (花街)
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烏森(からすもり)、または新橋南地(しんばしなんち)は、かつて東京都港区新橋に存在した花街。
沿革
[編集]烏森は、元は金春新道(現・銀座8丁目)にある新橋から派出し、1869年(明治2年)12月、数寄屋町から発生した大火で花街が焼かれ、芸妓、置屋が汐留川向かいの烏森に逃れた[1]。煉瓦街が完成し大半の者が戻ったが一部の芸妓、置屋が烏森神社周辺に残り、ここに花街が形成された[2]。
1887年(明治20年)、烏森、新橋合わせて30軒で一流のお茶屋が烏森に集中していた[2]。
誕生当初は新橋と共に歩んでいたが花街の位置等で1921年(大正10年)、分離し、1922年(大正11年)、芸妓置屋111軒、芸妓294名、幇間9名、料理屋11軒、待合95軒であった[3]。
1944年(昭和19年)、戦争により閉鎖、翌1945年(昭和20年)、東京大空襲により烏森神社一帯は焼失したが戦後復興し、1950年(昭和25年)には料亭47軒、芸妓80名であった[4]が1950年代後半、料亭が転廃業し、1967年(昭和42年)ごろ、烏森花街は終焉を迎えた。現在、烏森神社含む新橋駅西口は飲食店街として活気を示している[4]。
脚注・出典
[編集]参考文献
[編集]- 上村敏彦『東京 花街・粋な街』街と暮らし社、2008年。ISBN 978-4901317191。