無彊 ウィキペディアから無料の百科事典 無彊 越 王(周制における爵位は子)王朝 越在位期間 前354年 - 前306年?都城 呉生年 不詳没年 不詳 無彊(むきょう)は、中国の戦国時代の越の君主。 略歴[編集] 越王無顓の弟とされる[1]。無顓8年(紀元前354年)、無顓が死去すると、無彊は越王として即位した[2]。北方の斉や西方の楚と争い、楚軍の侵攻を招いた。無彊21年(紀元前333年)[3]、楚の威王が大軍を動員して越を攻撃し、無彊は敗北し逃亡した。無彊の逃亡後の越では、江南の海浜で諸族の子らが争って立ち、ある者は王となり、ある者は君となり、楚に服属した[4]。 脚注[編集] [脚注の使い方] ^ 『史記索隠』越王句践世家 ^ 『史記索隠』越王句践世家所引『竹書紀年』 ^ 『史記集解』越王句践世家所引徐広に周の顕王46年という ^ 『史記』越王句践世家 参考文献[編集] 『史記』越王句践世家 表話編歴越の君主 夫譚 允常 勾践 鹿郢 不寿 朱句 翳 錯枝 無余之 無顓 無彊 カテゴリ この項目は、中国の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:中国/P:歴史/P:歴史学/PJ中国史)。表示編集