熊田周八
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熊田 周八(くまだ しゅうはち、1888年3月1日 - 1948年11月10日)は、日本の政治家、旧鶴岡市第4代市長、鶴岡市警防団長。
略歴
[編集]- 1888年(明治21年)3月1日 - 福島県田村郡守山町(後の田村町、現・郡山市)に生れる。
- 1908年(明治41年) - 安積中学校(福島県立安積高等学校)卒業
- 兵役に就く。
- 1912年(明治45年) - 栃木県庁入庁
- 1917年(大正6年) - 山形県書記就任
- 1926年(大正15年) - 地方事務官就任
- 1929年(昭和4年) - 山形県商工水産課長就任
- 1930年(昭和5年) - 鶴岡市長選挙初当選
- 1934年(昭和9年)9月20日 - 市長選挙2回目当選
- 1940年(昭和15年)5月 - 同市警防団長兼任
- 1944年(昭和19年)5月 - 同職辞任
- 戦後、公職追放となる[1]。
- 1948年(昭和23年)11月10日 - 新潟県岩船郡勝木(現・村上市)で死去、享年61、神奈川県鎌倉市の鎌倉霊園に墓がある。
栄典
[編集]- 1940年(昭和15年)11月10日 - 紀元二千六百年祝典記念章[2]
脚注
[編集]参考資料
[編集]公職 | ||
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先代 黒谷了太郎 | 鶴岡市長 第4代:1930年-1944年 | 次代 小林鉄太郎 |