物部大斧手
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時代 | 古墳時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
別名 | 筑紫聞物部大斧手 |
主君 | 物部目 |
氏族 | 筑紫聞物部氏 |
物部 大斧手(もののべ の おおおのて、生没年不詳)は、『日本書紀』に登場する豪族。筑紫聞物部大斧手(ちくし の きく の もののべ の おおおのて)とも[1][2]。
豪族・朝日郎の討伐に貢献した。
出自[編集]
筑紫聞物部氏は豊前国企救郡に由来する氏族であり、物部氏の配下の豪族であった。
概要[編集]
『日本書紀』によれば、雄略天皇18年に、物部菟代と物部目が伊勢国の朝日郎攻めを命じられた際、朝日郎の強弓で傷を負いながらも楯で目を守り、目は朝日郎を討ったという[3]。