王偃
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王 偃(おう えん、元興2年(403年)- 孝建3年2月7日[1](456年2月28日))は、南朝宋の外戚。東晋の簡文帝の外孫。字は子游。本貫は琅邪郡臨沂県。王導の玄孫にあたる。
経歴
[編集]尚書の王嘏(王誕の兄)と鄱陽長公主(東晋の簡文帝の娘、南朝宋に入って永成君)のあいだの子として生まれた。劉裕の次女の呉興長公主劉栄男を妻に迎え、若くして黄門侍郎・秘書監・侍中といった顕官を歴任した。文帝の元嘉末年、散騎常侍・右衛将軍となった。元嘉30年(453年)、孝武帝が即位すると、皇后王憲嫄の父として、金紫光禄大夫の位を受け、義陽王劉昶の王師を兼ねた。
孝建2年(455年)5月、右光禄大夫の位を受けた。王偃の態度は謙虚でつつましく、世事に関わろうとしなかった。
孝建3年2月癸亥(456年2月28日)、死去。享年は54。開府儀同三司の位を追贈された。諡は恭公といった。
子女
[編集]- 王藻(東陽郡太守、文帝の六女の臨川長公主劉英媛を妻に迎えたが、王藻が呉崇祖を寵愛したため、公主は前廃帝に訴え、王藻は獄に下されて死去した)
- 王懋(字は昌業、光禄大夫・南郷侯)
- 王攸(字は昌達、太宰従事中郎、早逝)
- 王臻
- 王憲嫄(宋の孝武帝の文穆皇后)
脚注
[編集]- ^ 『宋書』巻6, 孝武帝紀 孝建三年二月癸亥条による。