現代ウクライナ文学
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現代ウクライナ文学(ウクライナ語: сучасна українська література)とは一般的には1980年代後半以降に書かれたウクライナ文学を指す。ソヴィエト連邦時代にはウクライナ文学は社会主義リアリズムを強制されていたが、ソ連崩壊後は政府による検閲がなくなり表現の自由が生まれた[1][2]。現代ウクライナ文学は、過去にはタブーだったホロドモールや性といったテーマを扱うようになり、新しい様式を取り入れている[3]。
歴史[編集]
時代的な定義は1980年代後半以降を指し、チェルノブイリ原発事故やペレストロイカ、詩人グループのブー・バー・ブーが結成された時期にあたる[4]。現代ウクライナにおいて原発問題、独立運動、文学は結びついており、1986年のチェルノブイリ原発事故の後に、モスクワ政府との対立やウクライナ語の公用語運動が行われた。1989年の言語法でウクライナ語が公用語となり、1991年の独立によってソ連時代に検閲されていた作品の復刊や再評価が進んだ[5]。
世代によって作風に違いが見られる。1928年から1947年生まれの作家は1960年代以降から活動しており60年代人と呼ばれ、「心の亡命」の世代とも呼ばれる[注釈 1][1]。1939年から1953年生まれの作家は1970年代から活動し、ポスト60年代で内向きとも呼ばれる。1949年から1965年生まれの作家は1980年代から活動し、個人主義でメランコリーの世代とも呼ばれる。1964年から1977年生まれの作家は1990年代から活動し、検閲がなくなって文学を多様化した世代とも形容される。1978年から1988年生まれの作家は自己PRやパフォーマンスがうまい世代とも呼ばれる。さらに2010年代以降に活動を始めた作家や、世代的な特徴では区分できない作家もいる[7]。
言語[編集]
言語的な定義は、ウクライナ在住またはウクライナをテーマとするウクライナ語やロシア語作家の作品を主に指す。これに加えて、ウクライナ語とロシア語の混合語スルジクの作品や、国外の作家がウクライナ語や非ウクライナ語で執筆した作品もある[4][8]。
独立後の特徴としてスルジクの文学の増加がある。ミハイロー・ブリニフはスルジクで文学史をテーマにした作品を執筆しており、架空の博士が世界文学の作品を語るというスタイルを取っている。脚本家のレシ・ポデレビャンスキはウクライナ語、スルジク、ロシア語を使っている[9]。スルジクを執筆に使うことについては作家の間でも賛否が分かれつつも、ウクライナの言語の多様性は文芸作品にも反映されている[10]。
作品形式とテーマ[編集]
詩、歌謡[編集]
1987年に結成された詩人グループのブー・バー・ブーは、ペレストロイカ期の1987年から1992年にかけてリヴィウやキーウで詩の朗読会を行い、風刺と笑いの作風で人気を集めた[11]。ブー・バー・ブーのメンバーであるユーリー・アンドルホーヴィチは現代ウクライナ文学の牽引者として知られており、ハンナ・アレント賞などで国際的な評価を得ている[12]。
セルヒー・ジャダンは繊細な詩とソ連崩壊後の社会問題をテーマとする小説を発表しており、ロックバンドで音楽活動もしている[13]。イリーナ・ ツィリックは、詩人・作家のほかに映画監督としても活動している[14]。
小説[編集]
独立後は短編小説が流行し、のちに長編小説が発表されるようになった。オクサーナ・ザブジュコは『置いて行かれた秘密の図書館』(2009年)という832ページの小説を発表し、ウクライナには本当に長い長編がないという批判への反証となった[注釈 2][16]。詩人のリーナ・コステンコは初の小説として、オレンジ革命を経験するプログラマーの物語『ウクライナのいかれた人の日記』(2010年)でも注目された[17]。ウクライナの代表的なロシア語作家であるアンドレイ・クルコフの『『ペンギンの憂鬱』(1996年)、『大統領の最後の恋』(2004年)、『ウクライナ日記』(2015年)は、独立後から2010年代のウクライナ社会の変化も描いている[18]。
ミロスラフ・ドチネツィの『時代をみた人』(2011年)はカルパチアに住む老人の伝記の形式をとりながら過去のウクライナ人の知恵が語られている。長生きの秘訣として食事やレシピ、運動についても触れられており、それまでウクライナになかった種類の作品だった[19]。ウィーン在住のテチャーナ・マリャルチュックはウクライナ語とドイツ語で執筆して幅広くテーマを扱い、人を動物にたとえるマジック・リアリズム的な設定で周囲に馴染めない主人公が登場する作品、思想家のビャチェスラフ・リピンスキをテーマにした作品などがある[20]。リューブコ・デーレシは18歳で最初の作品を出版し、世代間の衝突や孤独感などを描く。ポストモダン風の作風やファンタジー系の作風もあり、同世代に読まれている[21][15]。クリミア半島出身のイラストレイターのカテリナ・シュタンコは『龍たち、行け!』(2014年)という児童文学でクリミアが舞台のファンタジー作品を書いている[22]。
イレン・ロズドブディコはサスペンス作家で脚本家でもあり、街の一般的なウクライナ女性を描く作品が多い。ラリーサ・デニセンコは『マスクでの踊り』(2006年)でウクライナ人にとって珍しい韓国のウクライナ人の物語を描いた。リュコー・ダシュワルは村や小さな町の生活や対立、人間関係をテーマとしている。歌手でもあるイレーナ・カルパは日常会話のウクライナ語で小説、紀行などを発表し、カルパというパンクバンドでも活動して人気を呼んでいる[23]。
独立後の小説には歴史や社会をテーマにした作品が増え、ソ連時代は検閲されていたテーマも発表されている(紛争やジェンダーを参照)[9]。
エッセイ、ノンフィクション[編集]
タラス・プロハシコの『なぜならその通りである』(2010年)は端正なウクライナ語で哲学的な内容を持ち、自由や社会、人間関係について考察されている[24]。ユリア・サヴォースティナ(Юлия Савостина)は、2013年に「国産で1年生きる」というプロジェクトを行い、ウクライナ産の品物のみを扱う店舗やマーケットを企画し、それをもとにした本も発表した[25]。ボグダン・ログウィネンコは旅行ブログの執筆から旅行記を出版し、ウクライナ各地の文化とそれを支える人々を紹介する動画プロジェクトを行っている[14]。オリガ・コトルシ (Ольга Котрус)はパリでの生活をブログに書いて話題になり、キーウに戻ってから『私を食べてしまった街』という本を予約制で自費出版した[26]。ウィーン在住のテチャーナ・マリャルチュックは国外のウクライナ人のアイデンティティについて書いている[25]。
ジェンダー[編集]
ウクライナ独立後の初のフェミニストとしては、文芸評論家のソロミヤ・パウリチコや作家・評論家のオクサーナ・ザブジュコがいる。オクサーナはウクライナ社会の女性の役割や考え方を『ウクライナ人のセックスのフィールドワーク』(1996年)で論じた[27]。2014年の尊厳の革命は女性の社会進出に影響を与え、女性が活躍する『これは彼女が作った』(2018年)という子供向けの物語が出版されて人気を呼び、続刊も作られた[注釈 3][28]。ラリーサ・デニセンコは児童書『マヤと彼女のお母さん達』(2017年)では多様化する家族の形を子ども向けの物語として広めた[29]。
タマラ・マルツェニュックは『皆のためのジェンダー。ステレオタイプを変革しよう』(2017年)や『なぜフェミニズムを怖がらなくてもいいのか』(2018年)で注目を集めた[28]。アメリカ在住のオクサーナ・ルツィーシナは、ウクライナ社会の女性、家族、愛、暴力などをテーマにしている。パリで活動するイレーナ・カルパはパリのウクライナ女性をテーマにした『アラル海からの日記』(2019年)や、『どうして何回も結婚していいのか』(2020年)において伝統的なウクライナの女性像や家族観の変化を書いてヒットした[30]。
紛争[編集]
ワシーリー・シクリャルはウクライナのベストセラーの父とも呼ばれ、1920年代のウクライナ独立軍を描いた『黒いカラス』(2009年)が最も知られている。ユーリー・ウィニチュークは小説の他に短編、児童書、歴史書や百科事典にも関わっており、『死のタンゴ』(2012年)では第二次世界大戦下のウクライナ人、ロシア人、ポーランド人、ユダヤ人の友人関係と現在が交錯する。ヴォロディーミル・リースは、『ヤーコブの100年間』(2010年)で5つの政権を経験した人物を主人公にしている。シクリャルとリースの作品はウクライナ文学の授業にも採用された[31]。マリヤ・マティオスはウクライナの複雑な歴史と人間関係を描き、『可愛いダルーシャ』(2004年)ではソ連軍に占領されたウクライナの村が舞台となっている[24]。
2014年以降には政変やウクライナ紛争についての作品が増加している。アンドレイ・クルコフの小説『灰色のミツバチ』(2018年)では、紛争の前線近くに住んでいる養蜂家がロシア人、ウクライナ人、クリミア・タタール人と交流するが、どちらの陣営からも警戒されてしまう。絵本作家のオリガ・グレベンニクによる『戰争日記』は、子供を連れてハルキウから避難した体験が描かれている[32]。児童書でも紛争が語られるようになり、『戦争が町にやってくる』(2015年)や『私のおじいちゃんはサクランボの木だった』(2015年)がある[33][34]。イリーナ・ ツィリックは、軍隊に志願する女性たちが増加する傾向に注目して『見えない部隊』(2017年)というドキュメンタリーも作った[35]。作家・人権活動家のヴィクトリア・アメリーナは、人権団体トゥルース・ハウンズと共に2022年のロシアによるウクライナ侵攻でロシアの戦争犯罪を取材したが、2023年にミサイル攻撃によって死亡した[注釈 4][36]。
作家とは異なるウクライナ市民の言葉も出版されている。『ウクライナ戦争日記』は、ハルキウ出身で東京在住の市民によって編集された[37]。『戰争語彙集』は、詩人のオスタップ・スリヴィンスキーが避難者の言葉を編集して作られた。スリヴィンスキーは本書の動機として、リヴィウに避難してきた人々を支援した体験をあげている[38]。『ウクライナから来た少女 ズラータ、16歳の日記』は、日本のアニメ、漫画、小説を愛好していた市民がドニプロから日本に渡航した体験が書かれている[39]。
文学論[編集]
独立後には文学研究や文芸評論が進んでおり、独立前後の文学の違いや、独立後の文学の発展の理由などについて論じられている[40]。独立後に盛んになった議論として、世代による政治性の違いがある。1960年代のように社会や政治を積極的に改革しようとする姿勢と、1980年代以降の政治風刺や非政治的な姿勢についての議論がきっかけだった。2014年以降のウクライナ政府とロシア政府の対立の影響で、言語と政治的立場を考慮しない発言が難しい状況となっている[41]。
主な現代ウクライナ作家[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 60年代に活動した作家で、創作を続けながら政治家になった者として、イワン・ドラチ、ドミトロー・パフリチコ、(ヴォロディミル・ヤヴォリーフスキらがいる[6]。
- ^ ザブジェコはスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『チェルノブイリの祈り』をロシア語からウクライナ語に翻訳している[15]。
- ^ ジャーナリスト出身のハンナ・ホプコやスヴェトラーナ・ザリシュックなど若い世代の女性議員も増えた[28]。
- ^ この攻撃によってコロンビアの作家Héctor Abadらも死亡した。
出典[編集]
- ^ a b ホメンコ 2019, p. 114.
- ^ ソロシェンコ 2021, pp. 29–30.
- ^ ホメンコ 2019.
- ^ a b 奈倉 2023, pp. 109–110.
- ^ ホメンコ 2019, pp. 105–106.
- ^ ホメンコ 2019, pp. 106–107.
- ^ ホメンコ 2019, pp. 115–116.
- ^ 田中 2022, p. 64.
- ^ a b ホメンコ 2019, p. 116.
- ^ 池澤 2023, pp. 112–113.
- ^ 奈倉 2023, p. 109.
- ^ ホメンコ 2019, p. 119.
- ^ ホメンコ 2019, p. 123.
- ^ a b ホメンコ 2019, p. 125.
- ^ a b 奈倉 2023, p. 110.
- ^ ホメンコ 2019, pp. 116–117.
- ^ ホメンコ 2019, p. 117.
- ^ 奈倉 2023, pp. 110–111.
- ^ ホメンコ 2019, p. 118.
- ^ ホメンコ 2019, p. 121.
- ^ ホメンコ 2019, pp. 123–124.
- ^ ホメンコ 2019, p. 127.
- ^ ホメンコ 2021, pp. 26–27.
- ^ a b ホメンコ 2019, p. 120.
- ^ a b ホメンコ 2021, p. 32.
- ^ ホメンコ 2019, p. 113.
- ^ ホメンコ 2021, pp. 25–26.
- ^ a b c ホメンコ 2021, p. 31.
- ^ ホメンコ 2021, p. 26.
- ^ ホメンコ 2021, pp. 32–33.
- ^ ホメンコ 2019, pp. 117–118.
- ^ 奈倉 2023, pp. 112–114.
- ^ ホメンコ 2019, pp. 126–127.
- ^ “ウクライナの翻訳絵本『戦争が町にやってくる』平和とは戦争とは何か”. 絵本ナビ (2022年6月16日). 2024年3月8日閲覧。
- ^ ホメンコ 2021, p. 29.
- ^ “ウクライナPEN、ヴィクトリア・アメリーナ氏逝去の報”. 日本ペンクラブ (2023年2月9日). 2024年3月8日閲覧。
- ^ “あの日を境に変わった日常 市民の声を集めた「ウクライナ戦争日記」”. 朝日新聞 (2022年8月14日). 2024年4月8日閲覧。
- ^ “戦争が“言葉”を変えていく ある詩人が見たウクライナ”. NHK (2023年8月23日). 2024年3月8日閲覧。
- ^ “16歳少女が見たロシア侵攻のリアル ウクライナから日本に1人で避難 日本語でつづった日記を本に”. 東京新聞 (2022年10月22日). 2024年4月8日閲覧。
- ^ ホメンコ 2019, pp. 108–109.
- ^ 奈倉 2023, pp. 113–114.
参考文献[編集]
- 池澤匠「シンポジウム報告 : 「ウクライナ・ベラルーシにおける多言語文化」」『東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室年報』第37巻、東京大学大学院人文社会系研究科スラヴ語スラヴ文学研究室、2023年10月、111-120頁、2024年3月3日閲覧。
- 石川達夫 編『ロシア・東欧の抵抗精神 抑圧・弾圧の中での言葉と文化』成文社、2023年。
- 奈倉有里『銃殺された文芸復興──一九三〇年代の文学グループ弾圧と、現代にいたる言語と民族の問題』。
- ヴィクトリア・ソロシェンコ/進藤理香子訳「冷戦体制下のソビエト文化政策とウクライナ問題」『大原社会問題研究所雑誌』第758号、法政大学大原社会問題研究所、2021年12月、109-117頁、2024年3月3日閲覧。
- 田中壮泰「イディッシュ語で書かれたウクライナ文学 : ドヴィド・ベルゲルソンとポグロム以後の経験」『スラヴ学論集』第25巻、日本スラヴ学研究会、2022年、63-82頁、2024年3月3日閲覧。
- オリガ・ホメンコ(Ольга Хоменко)「独立後の現代ウクライナ文学:プロセス、ジャンル、人物」『スラヴ文化研究』第16巻、東京外国語大学ロシア東欧課程ロシア語研究室、2019年3月、104-127頁、2024年3月3日閲覧。
- オリガ・ホメンコ(Ольга Хоменко)「女性の顔を持つウクライナ : 歴史的な伝統,社会規範,メディアでのイメージと最近のトレンド」『神戸学院経済学論集』第52巻3・4、神戸学院大学経済学会、2021年3月、13-27頁、2024年3月3日閲覧。
関連文献[編集]
- 服部倫卓, 原田義也 編『ウクライナを知るための65章』明石書店〈エリア・スタディーズ〉、2018年。
- イーホル・ダツェンコ『民族・言語構成』。
- 中澤英彦『ウクライナ語、ロシア語、スールジク』。
- 藤井悦子, オリガ・ホメンコ 訳『現代ウクライナ短編集』群像社〈群像社ライブラリー〉、2005年。