田口圭太

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田口 圭太(たぐち けいた、1926年大正15年)5月1日[1] - 2017年平成29年)2月16日[2])は、昭和から平成時代の実業家ユニチカ社長、同会長。

経歴[編集]

京都府宇治市出身[1]。田口寛・露子の長男[1]。1948年(昭和23年)京都大学工学部繊維化学科を卒業後、日本レイヨンに入社[1]。1973年(昭和48年)5月、ユニチカ取締役、常務、専務、副社長を経て、1989年(平成元年)6月、社長に就任した[1]

この間、ユニチカテキスタイル常務、ユニチカレーヨン社長、同会長を歴任した[1]。1991年(平成3年)4月、藍綬褒章を受章した[1]。2017年(平成29年)2月16日、老衰により死去した[2]

親族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 人事興信所 1995, た7頁.
  2. ^ a b 田口圭太さん死去”. 朝日新聞デジタル (2017年2月21日). 2021年12月1日閲覧。

参考文献[編集]

先代
平田豊
ユニチカ社長
1989年 - 1996年
次代
勝匡昭