知床村
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しれとこむら 知床村 | |
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廃止日 | 1949年6月1日 |
廃止理由 | 国家行政組織法施行 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 樺太地方 |
都道府県 | 樺太庁 豊原支庁 |
郡 | 大泊郡 |
面積 | 507.879[1] km2. |
総人口 | 4,789人 (1941年12月1日) |
隣接自治体 | 遠淵村、富内村、長浜村 |
知床村役場 | |
所在地 | 樺太庁大泊郡知床村弥満(現:ノヴィコヴォ) |
特記事項 | 1943年4月1日以降は北海地方に所属。 |
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知床村(しれとこむら)は、日本の領有下において樺太に存在した村(指定町村)。
概要
[編集]- 亜庭湾東岸に位置し中知床岬が存在する村である。
- 西側は亜庭湾に、東側はオホーツク海に面していた。
- 村内にはグローズヌイ岬があった。
- 白瀬矗を隊長とする南極探検隊に参加したことで有名な、樺太アイヌの山辺安之助は、この村の中にあるヤマベチ(弥満別)という集落の出である。
歴史
[編集]- 1915年(大正4年)6月26日 - 「樺太ノ郡町村編制ニ関スル件」(大正4年勅令第101号)の施行により、内知床村、外知床村が行政区画として発足。長浜郡に所属し、大泊支庁が管轄。
- 1923年(大正12年)4月1日 - 内知床村・外知床村が合併して知床村となる。
- 1932年(昭和7年)4月1日 - 他村に遅れて樺太町村制を施行し、二級町村となる。
- 1942年(昭和17年)11月 - 所属郡が大泊郡に、管轄支庁が豊原支庁にそれぞれ変更。
- 1943年(昭和18年)4月1日
- 「樺太ニ施行スル法律ノ特例ニ関スル件」(大正9年勅令第124号)が廃止され、内地編入。
- 指定町村となる。
- 1945年(昭和20年)8月22日 - ソビエト連邦により占拠される。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 国家行政組織法の施行のため法的に樺太庁が廃止。同日知床村廃止。
村内の地名
[編集]- 内知床村地域
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- 外知床村地域
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地域
[編集]教育
[編集]以下の学校一覧は1945年(昭和20年)4月1日現在のもの[3]。
- 樺太公立赤岩国民学校
- 樺太公立弥満国民学校
- 樺太公立弥満沢国民学校
- 樺太公立札塔国民学校
- 樺太公立美田国民学校
- 樺太公立乳根国民学校
- 樺太公立江瀬国民学校
脚注
[編集]- ^ 市町村別日本国勢総攬 下卷(帝国公民教育教会 1938年)に「面積 三二・九三方里」とあり。
- ^ 南樺太:概要・地名解・史実(西村いわお・著、高速印刷センター内出版部 1994年)より。
- ^ 北海道立教育研究所『北海道教育史 地方編2』(1957年)p. 1680