砥部町立砥部中学校

ウィキペディアから無料の百科事典

砥部町立砥部中学校
地図北緯33度44分48秒 東経132度47分27秒 / 北緯33.74667度 東経132.79083度 / 33.74667; 132.79083座標: 北緯33度44分48秒 東経132度47分27秒 / 北緯33.74667度 東経132.79083度 / 33.74667; 132.79083
国公私立の別 公立学校
設置者 伊予郡砥部町
学区 砥部町
併合学校 砥部町立原町中学校
砥部町立広田中学校
校訓 和錬
共学・別学 男女共学
学校コード C138240200018 ウィキデータを編集
所在地 791-2122
愛媛県砥部町千足68番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

砥部町立砥部中学校(とべちょうりつとべちゅうがっこう)は、愛媛県伊予郡砥部町にある公立の中学校

概要[編集]

愛媛県中部、伊予郡に位置する砥部町立の中学校として創立。1962年(昭和37年)に原町中学校[1](はらまち-)を、2009年(平成21年)に広田中学校[2]を統合してきた経緯があり、現在では町内唯一の中学校。

位置[編集]

砥部町のほぼ中央、国道33号と県道砥部伊予松山線の間に挟まれた形になっており、町役場などの公共施設のほか、国道33号沿道には商業施設も多数集積している。

関連の小学校[編集]

  • 麻生小学校
  • 宮内小学校
  • 砥部小学校
  • 広田小学校

施設[編集]

学校施設
配置は概ね次のとおり。
校舎 三階建、体育館、中央に運動場、北にプールとテニスコート

砥部焼の町らしく随所に砥部焼がモチーフとして使用されている。

校章・シンボル等[編集]

キャラクター[編集]

「うめ&とべ丸」 - 砥部町な七折の産地として知られ、また砥部焼は愛媛県の代表的な伝統的特産品の一つである。

校章[編集]

校歌[編集]

作詞:和田茂樹、作曲:久米孝義

歴史[編集]

  • 昭和22年4月 学制改革により設立。9学級で校地は砥部小学校と共用。
  • 昭和22年5月 帽章制定
  • 昭和23年 大字大南甲625番地に新校舎落成。小学校との同居状態解消
  • 昭和23年4月 校歌制定
  • 昭和32年11月 創立10周年。プール完成(於 岩屋口、但し小学校高等学校との共用)
  • 昭和36年9月 元宮内小学校の校舎を移築、講堂とする
  • 昭和37年4月 原町中学校と統合、新砥部中学校となる。
  • 昭和37年6月 制服制定
  • 昭和38年2月 校章制定
  • 昭和39年6月 現在地である砥部町千足68番地に新校舎竣工、同年7月開校式
  • 昭和42年9月 校地を北に拡張し、プール・テニスコート設置
  • 昭和43年4月 校訓碑建立
  • 昭和44年4月 完全給食開始

生徒数の推移[編集]

  • 昭和22年 403名 9学級[3]
  • 昭和24年 444名
  • 昭和26年 465名
  • 昭和29年 437名
  • 昭和30年 455名
  • 昭和32年 418名
  • 昭和34年 378名
  • 昭和36年 520名
  • 昭和37年 989名 原町中学を名目統合
  • 昭和38年 973名
  • 昭和52年 641名

※いずれも年度

部活動[編集]

運動部[編集]

文化部[編集]

著名な出身者[編集]

実業家[編集]

作家[編集]

デザイナー[編集]

ミュージシャン[編集]

芸能[編集]

マスコミ[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 原町村は1955年(昭和30年)3月31日に砥部町と新設合併(いわゆる対等合併)。現在の砥部町の北部に当たる。松山市に近接した地域として宅地化が著しい。なお、現在中学校のある千足ももともとは原町村域。
  2. ^ 広田村は2005年(平成17年)1月1日に砥部町と新設合併(対等合併)。現在の砥部町の最南部の山村で過疎化・少子化が著しい。
  3. ^ 砥部町『砥部町誌』1978年より

参考文献[編集]

  • 砥部町『砥部町誌』1978年3月