福原実
ウィキペディアから無料の百科事典
福原 実(ふくはら みのる、1844年11月24日(天保15年10月15日) - 1900年(明治33年)9月24日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。貴族院議員、沖縄県知事、男爵、錦鶏間祗候。
経歴
[編集]長州藩士・福原政馬の長男として生まれる。戊辰戦争に従軍し、1871年(明治4年)兵部権少丞、兵部省7等出仕を経て、陸軍大佐に任官し陸軍省築造局長となる。築造局副長心得、第4局副長、兼第3局副長、アメリカ出張などを経て、1877年(明治10年)3月から11月まで征討軍団砲兵部長として西南戦争に出征した。砲兵本支廠御用掛、仙台鎮台幕僚参謀長などを歴任し、1878年(明治11年)11月、陸軍少将に進級。仙台鎮台司令長官を勤め、1879年(明治12年)10月、非職となり、1888年(明治21年)12月、予備役に編入された。
その他、元老院議官(1882年12月 - 1887年4月、1888年9月 - 1890年10月)、沖縄県知事(1887年4月 - 1888年9月)、貴族院議員(1890年9月29日[1] - 1900年9月24日[2])を歴任した。1890年(明治23年)10月20日、錦鶏間祗候となる[3]。1900年5月、男爵の爵位を授爵し華族となった。墓所は染井霊園。
栄典
[編集]親族
[編集]- 養嫡子・福原邦樹(1883年生)- 毛利元敏の三男で、乃木希典の養子となった乃木元智の実弟。1900年(明治33年)福原家の家督を相続[6]。
- 娘婿・田中平八(二代目)- 長女・澄(1873年生)の夫[7]であり、天下の糸平として知られた田中平八の長男。田中銀行頭取、田中鉱業代表取締役。
- 娘婿・兒玉隼槌(1864年生)- 二女・文(1876年生)の夫。兒玉愛二郎の養子(実父は兒玉准齋)。工学博士、小田原急行鉄道取締役[8]。
- 一族・福原豊功(陸軍少将)
脚注
[編集]- ^ 『官報』第2182号、明治23年10月6日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、10頁。
- ^ 『官報』第2195号、明治23年10月22日。
- ^ 『官報』第3266号「叙任及辞令」1894年5月22日。
- ^ 『官報』号外「授爵叙任及辞令」1900年5月9日。
- ^ 『人事興信録』(9版)人事興信所、1931年、フ之部 35頁。NDLJP:2127126/1334。
- ^ 原田道寛 編『大正名家録』二六社編纂局、1915年、タの部 9頁。NDLJP:954637/278。
- ^ 『人事興信録』(第11版 改訂版 上)人事興信所、1938年、コ之部 134頁。NDLJP:2127167/934。
参考文献
[編集]- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
日本の爵位 | ||
---|---|---|
先代 叙爵 | 男爵 福原(実)家初代 1900年 | 次代 福原邦樹 |