福富雪底

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福富 雪底(ふくとみ せってい、1921年(大正10年)- 2005年(平成17年)10月4日)は、昭和平成期の日本の臨済宗の僧。臨済宗大徳寺520世、大徳寺派第14代管長等を歴任した。庵号は「似庵」、「似無愁庵」。

生涯[編集]

大正10年、新潟県生まれ。東京都台東区上野広徳寺の福富以清の下で得度。

大正大学在学中の1943年(昭和18年)に学徒動員を経験する。1944年(昭和19年)、大学卒業後、仙台陸軍予備士官学校に入学し陸軍少尉となる。

1945年(昭和20年)、台湾で終戦を迎える。復員後、福岡県久留米市妙心寺梅林僧堂に掛塔し、東海玄照を師とする。

1961年(昭和36年)、広徳寺30代住職となる。住職が妻帯をせず、住職となるものが先代住職の養子となる同寺の慣例により、先代の住職の姓である福富を継ぎ、名を雪底と改めた。

1983年(昭和58年)に第14代大徳寺派管長に就任し、2003年(平成15年)まで20年間在職した。1984年から1986年に大徳寺520世住持。

2005年(平成17年)、84歳で死去。

現在の台東区役所の敷地内に、広徳寺が練馬に移転する際に雪底が記した七言絶句の漢詩「髙掲法幢三百載 己憂斯地累兒孫 無邊廣大先人徳 饞勤碑陰去故園」の碑が残っている。

著書[編集]

  • 『人生、しっかり生きなされよ』春秋社、2002年

関連項目[編集]

  • 表千家 15代家元となる千宗左(当時「宗員」)が平成10年に参禅し猶有斎の号を受けている。