稲田植栄

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稲田植栄(東林寺蔵)

稲田 植栄(いなだ たねひで、寛永19年(1642年) - 享保15年1月2日1730年2月18日))は、徳島藩筆頭家老。淡路洲本城代稲田家4代当主。

正室は蜂須賀忠英の娘・清姫。幼名は梶之助。通称は九郎兵衛、修理。諱は植栄、植儀。号は性鉄。

生涯[編集]

寛永19年(1642年)、徳島藩家老稲田植次の子として生まれる。母は賀島政慶の娘。正保5年(1648年)、7歳で江戸に下向し幕府の証人を務めた。慶安5年(1652年)、父の死去により家督を相続し、洲本に帰る。

万治元年(1658年)、藩主蜂須賀忠英の娘・清(喜与)と結婚する。寛文6年(1666年)、洲本城代となる。寛文7年(1667年)、幕府の命により淡路の最高行政職である洲本仕置に任じられる。天和3年(1683年)、弟植幹を養子とする。

元禄13年(1700年)、隠居して植幹に家督を譲る。享保15年(1730年)1月2日死去、享年89。

参考文献[編集]