竹村元雄
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 台湾 花蓮港庁(現・花蓮県) |
生年月日 | 1924年2月12日 |
身長 体重 | 167 cm 68 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1949年 |
初出場 | 1950年 |
最終出場 | 1950年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について |
竹村 元雄(たけむら もとお、1924年2月12日 - 没年不明)は、台湾・花蓮港庁(現・花蓮県)出身のプロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]花蓮港庁立花蓮港中学校時代は、甲子園出場はなし。
終戦後は日本に帰国し、1949年に阪急ブレーブスに入団。しかし、一軍出場はないまま、同年シーズン終了後に阪急を退団。翌1950年に新球団・広島カープが創設されるに当たり、初代監督を務める事となった石本秀一の誘いで、阪急時代のチームメイトだった内藤幸三、武智修、岡村孝雄と共に広島に入団した[1]。
広島では選手が不足していた(当時の広島は資金難だった事もあり、選手も中々集まっていなかった)事もあり、ドロップを武器に、一軍出場を果たしたが、勝利を挙げる事が出来ないまま同年末に現役引退した。
通算1安打ながら、その1本がホームランであり、このような選手は他に塩瀬盛道(東急)、ドン・シュルジー(オリックス)がいる。
尚、広島カープ史上、初の背番号18を付けた選手でもある。竹村の後を継いで、翌1951年から背番号18を付けたのが、後に広島の初代エースとなる長谷川良平[3]である。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
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1950 | 広島 | 8 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 112 | 25.2 | 28 | 2 | 12 | -- | 1 | 4 | 1 | 0 | 21 | 15 | 5.19 | 1.56 |
通算:1年 | 8 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 112 | 25.2 | 28 | 2 | 12 | -- | 1 | 4 | 1 | 0 | 21 | 15 | 5.19 | 1.56 |
年度別打撃成績
[編集]年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
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1950 | 広島 | 8 | 12 | 11 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | -- | 1 | -- | 0 | 1 | 1 | .091 | .167 | .364 | .531 |
通算:1年 | 8 | 12 | 11 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | -- | 1 | -- | 0 | 1 | 1 | .091 | .167 | .364 | .531 |
背番号
[編集]- 14 (1949年)※二軍番号
- 18 (1950年)
脚注
[編集]- ^ a b 『ベースボールマガジン』1950年3月号より。NHK広島放送局製作のドキュメンタリードラマ『シリーズ被爆70年 ヒロシマ 復興を支えた市民たち 第1回「鯉昇れ、焦土の空へ」』(2015年2月7日放送)でも紹介された。ヒロシマ 復興を支えた市民たち|NHK広島放送局 - NHKオンライン(キャスト)。
- ^ 日系人だと、1953年の銭村健三、光吉勉、銭村健四(いずれもハワイ準州出身の日系二世)が初めて。純粋な外国人選手としては1972年のソイロ・ベルサイエス(キューバ)が初めてとなる。
- ^ 長谷川も1950年の広島結成時のメンバーだが、初年度の背番号は32だった。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 竹村元雄 - NPB.jp 日本野球機構