笑福亭笑瓶

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笑福亭しょうふくてい 笑瓶しょうへい
笑福亭(しょうふくてい) 笑瓶(しょうへい)
五枚笹は、笑福亭一門定紋である。
本名 渡士とし ひろし
生年月日 1956年11月7日
没年月日 (2023-02-22) 2023年2月22日(66歳没)
出身地 日本の旗 日本大阪府
死没地 日本の旗 日本東京都
師匠 笑福亭鶴瓶
弟子 笑福亭笑助
出囃子 魔法使いサリー
活動期間 1981年 - 2023年
活動内容 上方落語
物真似
配偶者 既婚
所属 松竹芸能太田プロダクション
備考
上方落語協会会員

笑福亭 笑瓶(しょうふくてい しょうへい、1956年〈昭和31年〉11月7日[1] - 2023年〈令和5年〉2月22日)は、日本落語家お笑いタレント司会者。最終所属は太田プロダクション上方落語協会会員。既婚。趣味はゴルフ

来歴[編集]

大阪府出身[1]興國高等学校大阪芸術大学芸術学部文芸学科卒業[1]

高校在学中の1972年、スクールメイツに入団。もともと芸能界志向で「役者になりたい」という意志が強く、学生時代には石原プロなどに直接「自分をドラマに出演させてください」などと書いた自薦のはがきを多々出していたという。

その後、ラジオ番組『MBSヤングタウン』での笑福亭鶴瓶のトークに魅せられて1981年に弟子入りを志願し、最初の弟子となる。鶴瓶の付き人として修行中、毎日放送のテレビ番組『突然ガバチョ!』のレギュラー出演者に抜擢され、「ショーヘイ・ショータイム」などのコーナーで人気を博した[2]

東京でのタレント活動[編集]

その後テレビ番組の『ものまね王座決定戦』や『鶴ちゃんのプッツン5』に出演し、アニメ『魔法使いサリー』の登場人物である「よし子ちゃん」やアントン・ウィッキーなどの物真似芸で人気となり、全国区の知名度を獲得する[3]

東京での仕事も増え、東京が仕事の中心地になった時に、共演者の山田邦子片岡鶴太郎太田プロダクションへの移籍を誘われる。通常、芸能事務所の移籍は簡単に行われないのだが、師匠の鶴瓶による後押しと松竹芸能の粋な計らいでスムーズに移ることが出来た[4]。その後、複数の番組でレギュラー出演者となり、風邪薬「コンタック」のCMを20年以上務めるなど幅広い活動を行った。

2000年代以降は落語家として高座に上がる活動も行っていた。

病と死去[編集]

2015年12月29日、千葉県内のゴルフ場でプレー中に胸の痛みを訴え、ドクターヘリで県内の病院に搬送され入院[5]。2016年1月14日に退院し[6]、1月19日に『大阪ほんわかテレビ』の収録で仕事復帰した[7]。2月25日放送の『ダウンタウンDX』の収録で、病名が急性大動脈解離だったことを公表した[8]。これ以降笑瓶は仕事をセーブし、たばこを控えてウォーキングするなど健康に気を配っていたが、「体調があまり良くない」と周囲に漏らしていた[9]

2023年2月21日午前、自宅で倒れ、病院に救急搬送された。再び急性大動脈解離の診断を受け、ECMOを装着される形で治療していたが、翌22日午前、家族と師の鶴瓶に看取られ死去した[10][11][12][13]。66歳没(享年68)。

師匠である鶴瓶は笑瓶の死去当日に事務所を通じ「師弟関係を結んだのは僕が29歳で笑瓶が24歳。師弟関係というよりも、信頼のおける親友のようでした。一番僕のそばにいて、全ての事に気のつく男ですごく彼がいて助かりました。僕より先に逝くとは思いませんでした。 すごくええ顔して旅立って行きました。 最期に顔見れてよかったです。お疲れ様でした。」と追悼のコメントを出した[14]。その後、鶴瓶は同月25日にトークイベントの会場入りの前にメディアの取材に応じ、当日は笑瓶の危篤の報を聞いて病院に駆け付け、意識のない状態であったが対面を果たしたことを明かし、愛弟子の最期の様子を語った[15]。また、BS-TBS『噂の!東京マガジン』で共演していた森本毅郎によれば「倒れたときに、まだ意識があるときに、苦しかったと思うけれども“前のときよりも、今回ちょっと場所が違う”と。“今回はちょっと危ないかもしれない”ってご本人が言ったっていう話を聞いたんですよ。」と関係者からの話を明かした[16]

翌日の2月26日放送の『噂の!東京マガジン』では、予定を急遽変更し追悼企画「笑瓶さん!ありがとう笑顔と優しさの全記録」を放送。集まれるレギュラーメンバーだけでもと声が掛かり、全員集まった。放送では、突然空席になってしまった笑瓶の席に涙し、在りし日のVTRを観ながら思い出をメンバーらが語った[17]

葬儀は妻を喪主として同月27日に築地本願寺第二伝道会館で執り行われ[18]、通夜・告別式には師匠の鶴瓶や森本毅郎小島奈津子井崎脩五郎清水国明山口良一風見しんご深沢邦之ら『噂の!東京マガジン』共演者や山田邦子西川きよしせんだみつお爆笑問題太田光田中裕二)、松村邦洋松本明子徳光和夫モト冬樹らが参列、弔辞は鶴瓶が読んだ。

10月22日、天満天神繁昌亭で「笑福亭笑瓶追善公演 ~笑瓶 The DANKAI~」が催され、小佐田定雄が笑瓶のために書き下ろしたが生前演じられなかった新作落語「浪花の雪女」を弟子の笑助が初演。生前縁のある人物の座談会と、会場には数多くの眼鏡やタレントとして出演した番組の記念カップなどが飾られた。座談会出演者は笑助・小佐田・鶴瓶・笑福亭晃瓶笑福亭恭瓶松村邦洋(リモート)[19]

エピソード[編集]

デビュー前・学生時代[編集]

17歳の頃に俳優を志す。当時人気のテレビドラマ「太陽にほえろ!」のファンであった事から、同ドラマに出演したいと思った笑瓶は番組側に「企画書」を書いて送付した事があるとトーク番組「ろみひー」で語っている(2000年9月5日放送分)。その企画書の内容は「ロス警察からサンフランシスコ警察を渡り歩き、日本へ帰ってきたヤリ手の麻薬捜査官、通称“サンフラン刑事”。 大阪弁を喋り、母親役にはミヤコ蝶々さんを希望します。こんな役が、今の太陽にほえろには必要ではないでしょうか?また、その役にピッタリなのは、僕(笑瓶)です!」というものであったが、番組側からの返答はなかった。笑瓶の企画書との関連は不明だが、後の「太陽にほえろ!」では「ミヤコ蝶々を叔母に持つ大阪弁を喋る刑事」という、笑瓶が企画書に書いたキャラクターとそっくりな刑事(通称「ボン」[注釈 1])が登場している。

入門・内弟子時代[編集]

笑瓶が弟子入りをした頃、鶴瓶は落語を殆どしておらず、専ら大阪でタレントとして活躍していた。鶴瓶は落語家としての活動が少ない自分が弟子をとる事には消極的であった。ところが松鶴(笑瓶の大師匠にあたる)から鶴瓶に対し、「(弟子志願に)来た奴はとれ!お前」「とれ!兎に角」[20][21]との話があった。当時の鶴瓶には松鶴の思いは「意味わかれへんかった」[22]が、その後各所で、上方落語家の人気者を育てる事[23]によって上方落語人気を高め、拡げ、それを全国にと思っていた[21]のではという意の発言をしている。たまたまその松鶴と鶴瓶のやり取りの後に、笑瓶は鶴瓶に弟子入り志願を行う形になった。その際、笑瓶は鶴瓶から「俺、ほとんど落語やれへんで」と言われたが、「いえ、僕も落語する気ないですから」と返したという。さらに鶴瓶より、ウチの嫁と師匠の松鶴に気に入られれば弟子入りを認めるという条件を出された。鶴瓶の妻にはすぐに認められた。その後に松鶴と引き合わされたが、その際、松鶴から「君は人を笑わせるのが好きか」と問われ「好きです」と即答したという。それをみて松鶴は鶴瓶に「この子も落語家や。この子に笑福亭の名前と、お前の字をあげなさい」[24]と、笑瓶に「こいつ(鶴瓶)の生き様を見習え」と話したとの事である[要出典]

キャラクターと芸風[編集]

鼈甲色のプラスチックフレーム(セルロイド製)の眼鏡がトレードマーク[12]。髭を生やしていた時期もあった。

ラジオ番組『MBSヤングタウン』で5年間共演したスターダストレビューの根本要は、笑瓶が「人を笑わせるのが好きなんや。そこに偉いとか偉くないはなくて、誰でも笑っていれば楽しいねん」「偉い人になると笑いの質も変わるから、偉くなるよりも誰もが気楽に笑ってくれるようなポジションにいたいねん」といつも語っていたと述べている[25]

後輩芸人との関係[編集]

事務所の後輩で、まだコントの役割分担が明確ではなかった頃のダチョウ倶楽部に対し、「ボケやったら竜ちゃんやな!」と助言し、芸風を確立させるきっかけを作った[26]。COWCOWの多田健二は笑瓶のモノマネをネタとしていたが、「自分がテレビ出ているみたいでうれしいわ」と声をかけてくれたと回想している[3]

落語家として[編集]

2000年代以降、師匠の鶴瓶が「六人の会」などの活動から落語に目覚め、一門で落語会なども開くようになったため、笑瓶自身もできない落語を勉強せざるを得なくなった。最近は一門の落語会や弟子の笑福亭笑助との親子会で口演したほか、天満天神繁昌亭の定席にも不定期で出演していた。

演目は自作の『横山大観』『ある日の六代目』『一日早い死神』『レトロミュージアム』など新作落語私落語)のみで古典落語は口演していないが、『上方落語家名鑑ぷらす上方噺』制作時の取材に「(大師匠以来由緒のある)笑福亭という屋号の重さ、物語で笑いを届ける落語という話芸の素晴らしさを実感している」と答えている。

落語家名鑑として発行された『上方落語家名鑑ぷらす上方噺(2006年)』『上方落語家名鑑【第二版】(2010年)』(以上出版文化社)、『東西寄席演芸家名鑑(2015年)』(以上東京かわら版)には笑福亭の落語家として笑瓶の項目が立てられプロフィールや写真が掲載されているが、『東西寄席演芸家年鑑2(2021年)』は本人の意向でプロフィール・写真等の掲載が見送られた[27]。ただし、寄席演芸専門誌『東京かわら版』2023年4月号には笑瓶の訃報が記事として掲載されて落語家としての足跡が振り返られている[28]

出囃子は、自身のものまねレパートリーにちなんで「魔法使いサリー[29]

ものまねレパートリー[編集]

基本的に出オチ、もしくは話術で笑わせるネタが多い。特に、柳生博は甲高い声の持ち主であるにもかかわらず、笑瓶は低い声を強調する。

出演[編集]

テレビ番組[編集]

テレビドラマ[編集]

ラジオ番組[編集]

CM[編集]

  • コンタックシリーズ(グラクソ・スミスクライン)[33][34] - 1996年から2020年までの24年間、同製品のキャラクター「Mr.コンタック」の声を担当していた[35][36] 。当初はいとうせいこうが声の「Mr.CONTAC from Tokyo」、笑瓶の声の「Mr.CONTAC from Osaka」という二人のキャラクターであったが、後に笑瓶のみの声となる[37]。笑瓶の大阪弁での親しみやすいキャラクターが人気となり、CMでもアドリブを交えることもあった[37]。2005年には本人も顔出しで登場している[38]

映画[編集]

ソフト[編集]

CD[編集]

  • 『笑福亭笑瓶落語集』(2023年10月18日、ソニー・ミュージックレーベルズ)「ある日の六代目」「横山大観」収録[39]

著書[編集]

弟子[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 通称の「ボン」は「ぼんぼん(坊々)=お坊ちゃま」が由来。ボン役は宮内淳が演じていた。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、85頁。NDLJP:12276264/43 
  2. ^ 笑福亭鶴瓶 66歳早すぎる笑瓶さんの死を追悼「どこぞの世界に弟子の粗供養を決める師匠がおるんや」”. スポニチ (2023年3月9日). 2023年3月9日閲覧。
  3. ^ a b 「当たり前にいる存在」COWCOW、笑福亭笑瓶さんのモノマネやり続けると誓う”. ORICON NEWS (2023年2月26日). 2023年3月9日閲覧。
  4. ^ 笑福亭鶴瓶が弟子の笑瓶さん偲ぶ 東京進出は「松竹に居てたってアカンってオレが言うた」”. 東京スポーツ (2023年2月26日). 2023年2月27日閲覧。
  5. ^ “笑福亭笑瓶、ヘリで緊急搬送 ゴルフ中に胸の痛みも命に別状なし”. ORICON STYLE (株式会社oricon ME). (2015年12月30日). https://www.oricon.co.jp/news/2064685/full/ 2016年1月14日閲覧。 
  6. ^ “笑福亭笑瓶が無事退院 昨年末ゴルフ中に救急搬送”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2016年1月14日). http://www.nikkansports.com/m/entertainment/news/1592163_m.html 2016年1月14日閲覧。 
  7. ^ “笑瓶がTV番組収録で仕事復帰 笑顔見せ、足取りしっかり”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2016年1月20日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/01/20/kiji/K20160120011888030.html 2016年1月20日閲覧。 
  8. ^ “笑瓶、急性大動脈解離だった…「心臓が内側から裂ける。激痛でした」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2016年2月14日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/02/14/kiji/K20160214012038120.html 2016年2月14日閲覧。 
  9. ^ 健康に留意していた笑福亭笑瓶さん15年ドクターヘリ搬送で一命取り留め、仕事抑えたばこ断ち”. 日刊スポーツ (2023年2月23日). 2023年3月9日閲覧。
  10. ^ “笑福亭笑瓶さん死去”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2023年2月22日). https://hochi.news/articles/20230222-OHT1T51065.html 2023年2月22日閲覧。 
  11. ^ 笑福亭笑瓶さん死去 2015年にも急性大動脈解離で搬送されていた」『デイリースポーツ』、2023年2月22日。2023年2月22日閲覧。
  12. ^ a b 笑福亭笑瓶さん急死 66歳 鶴瓶の弟子「よしこちゃん」のものまねで人気 メガネがトレードマーク - Sponichi Annex 2023年2月22日
  13. ^ “笑福亭笑瓶さん通夜 命の恩人に感謝してから天国へ…師匠・鶴瓶「それで逝ったから、不思議だね」”. スポニチ. (2023年2月26日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/02/26/kiji/20230226s00041000676000c.html 2023年2月27日閲覧。 
  14. ^ 鶴瓶「僕より先に逝くとは」弟子の笑瓶さん急逝に悲しみ【追悼全文】「信頼のおける親友のようでした」 - デイリースポーツ online 2023年2月22日
  15. ^ 笑福亭鶴瓶、愛弟子の笑瓶さんとの最期の対面「本人も死んだことはわかってなくても、僕が来たのは感じ取ったと思う」 - サンスポ 2023年2月25日
  16. ^ 「噂の!東京マガジン」森本アナ 笑瓶さんの死の覚悟明かす「本人が“今回は危ないかもしれない”って」 - Sponichi Annex 2023年2月26日
  17. ^ 『笑福亭笑瓶さん “空席”で『噂の!東京マガジン』追悼放送 山口良一の涙に清水国明が明るく「泣くな!」』 - ORICON NEWS(2023年3月1日閲覧)
  18. ^ 笑福亭笑瓶さん死去、所属事務所が報告 通夜は26日、葬儀・告別式は27日に築地本願寺で - Sponichi Annex 2023年2月22日
  19. ^ 笑福亭笑助 (2023年10月24日). “繁昌亭で笑福亭笑瓶追善公演でした”. &(オンド)笑福亭笑助ブログ. ameba blog. 2023年10月24日閲覧。
  20. ^ 笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ 2023年2月26日放送内16:05:35発言
  21. ^ a b INC, SANKEI DIGITAL (2023年2月25日). “笑福亭鶴瓶、愛弟子の笑瓶さんとの最期の対面「本人も死んだことはわかってなくても、僕が来たのは感じ取ったと思う」”. イザ!. 2023年3月2日閲覧。
  22. ^ 鶴瓶・新野のぬかるみの世界[要出典]
  23. ^ 笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ 2023年2月26日放送内16:05:42発言「多くの人数でいろんなタイプの噺家を揃えたかったてんか、ホンマ、現にね、育ってきましたから」
  24. ^ 後藤洋平 (2023年2月22日). “森光子さんに手紙を…笑福亭笑瓶さんが番組共演の記者に語った素顔”. 朝日新聞デジタル. 2023年3月7日閲覧。
  25. ^ 笑福亭笑瓶さんご逝去の報に接し、心よりお悔やみ申し上げます。 - スターダスト☆レビュー オフィシャルサイト”. スターダスト☆レビュー オフィシャルサイト. 2023年3月9日閲覧。
  26. ^ 松村邦洋、笑福亭笑瓶さんは「アドバイスをいっぱいしてくれた」ダチョウ倶楽部との秘話も明かす”. ENCOUNT (2023年2月27日). 2023年3月9日閲覧。
  27. ^ 『東京かわら版 2023年4月号 一行情報』東京かわら版、2023年3月28日、25頁。ISBN 9784910085326 
  28. ^ 日高美恵『東京かわら版 2023年4月号 『上方情報TOPICS』』東京かわら版、2023年3月28日、25頁。 
  29. ^ "笑福亭 笑瓶". 上方落語家名鑑. 2023年4月4日. 2023年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月4日閲覧
  30. ^ 三輪薫,ねとらぼ (2023年2月22日). “松本人志、急逝した笑福亭笑瓶さんを“そんなアホな”と追悼ガキ使「ショウヘイヘーイ」思い出す人も(1/2ページ)”. ねとらぼ. 2023年2月25日閲覧。
  31. ^ 「ガキ使」笑福亭笑瓶さん名場面SPを放送 ラストは追悼テロップ「たくさんの笑いをありがとうございました」”. サンスポ (2023年3月6日). 2023年3月7日閲覧。
  32. ^ "気ままにクラシック". NHK. 2010年8月10日. 2010年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年8月10日閲覧
  33. ^ 「今月の新作CM50連発! / 編集部」『広告批評』第213号、マドラ出版、1998年2月1日、10頁、NDLJP:1852932/7 
  34. ^ 「CM現場レポート(第10回)コンタック」『広告批評』第223号、マドラ出版、1999年1月1日、34 - 35頁、NDLJP:1852942/19 
  35. ^ CM情報|風邪、鼻炎・花粉による症状、咳などにコンタック(風邪薬)”. グラクソ・スミスクライン・コンシューマー・ヘルスケア・ジャパン株式会社. 2022年1月22日閲覧。
  36. ^ 『コンタック』笑瓶さんに深く感謝 | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]” (ja_JP). 朝日新聞デジタルマガジン&[and]. 朝日新聞社 (2023年2月22日). 2023年3月2日閲覧。
  37. ^ a b ブランドキャラクター“Mr.CONTAC”生誕20周年 | コンタック(風邪薬)”. コンタック. グラクソ・スミスクライン・コンシューマー・ヘルスケア・ジャパン株式会社. 2023年3月2日閲覧。
  38. ^ 笑瓶さんとMr.コンタック篇|風邪、鼻炎・花粉による症状、咳などにコンタック(風邪薬)”. グラクソ・スミスクライン・コンシューマー・ヘルスケア・ジャパン株式会社. 2022年1月22日閲覧。
  39. ^ 株式会社ソニー・ミュージックレーベルズ レガシープラス (2023年10月12日). “笑福亭笑瓶、2023年10月18日に落語追悼盤を発売!!”. PR TIMES. 2023年10月15日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]